首都高速11号線 芝浦PA
●プロローグ1 (2002年8月12日)
20年間も左ハンドルだった壮年Aが、ふとした気まぐれでトヨタ・ラウムなんぞに乗り換えてしまったのが2年前。やっぱり妻子の事も少し考えちゃって、室内が広くて、維持費はそこそこ経済的で、デビュー当時はちょっぴり都会的広告で騙されて、コンセプトは少し偉かったラウム。知的な車には比較的寡黙な中流が選ぶ、トヨタのボックスでもない、はたまたセダンでもない中途半端なラウムというヤツ。でもやっぱりつまらなかったのよ。飽きてしまいましたA。
そう思ったら吉日。衝動的にこのラウムをガリバーに持って行ったのが2週間前。その時、左ハンドルだったら何でもいいから、何かと交換してよ。って店長にすがんで頼んで、不人気のアメ車か、5〜6年落ちのOPELかなんか来るかな?との予想を裏切り、本日入手したのが、1994年型BMW525i(E34)でした。2年落ち2000年型のラウムと、8年落ち1994年型BMW525iが同じ値段という事か。そんなこんなで税金分だけ別途支払いして、いそいそとガリバーを後に。
恥ずかしいけど、の告白。遙かの大昔、実は中学生の時からの憧れのBMW。でももうAはいい歳をした壮年。しかもいっぱいいっぱい、やっとやっとの8年落ちの中古の525。いまさらワタヒ、BMのオーナーよ、なんておくびにも出せません。知らん顔して、数年前から乗ってます、なんて顔して乗らないといけないのね。でもなんかちょっぴり裕福になったみたい?、なんかね。娘が一言、今度はBMですか、だって。ラウム知らなくても、BMWは中学生でも知っていた。
     
●プロローグ2 (2002年8月18日)
来たときの走行距離44千km。8年落ちにしては案外少ない。長期間どこかの車庫に置きざらしにされていたのか、なんか特殊な事情がありそうなので整備簿を徹底的に調べたら、ガリバーのお兄さんが胸張って言ってた、ワンオーナー説はみごとに崩れ、なんだツーオーナーじゃん。なにやら会社名義で社長さん専用車だったような経歴もあり。距離が伸びてないのはその社長さん乗せて都内をチョロチョロ走っていた為か?
そんな事まあいいや、本日はとりあえずのタイヤ交換とオイル交換。OEMでオートバックスが出しているミシュランVivacy シリーズ。205/65に効き目かなり疑問符の窒素入魂。やっぱポリスのお世話にはなりたくないから、レーダー対策にセルオート社のソーラー式探知機の安めのやつ購入。どの程度信頼できるか未知だけど、まあ前方から照射される普通の探知波くらいは広告通りちゃんと受信してくれるでしょう、と期待。
あとはヘッドライトが異様に暗い。壮年は基本的に前が見えないと走れないから、H1-55Wを130W相当のハロゲンに交換。これ予想よりはるかに明るくて正解。これでまともに走れそうだ。かなり楽しみかも。
     
●関越自動車道三昧1 (2002年9月11日)
環八・矢原を左折。そのまま関越自動車へとなだれ込む。所沢を少し過ぎた辺りで加速。初めての525のチカラを体感したく右足を踏み込んで行く。180km/hにすぐに到達。今まで5ナンバー小型車ばかり乗り継いで来た為か、なんだか拍子抜けしてしまう。この分だともう少し我慢すれば220km/hは楽勝だろう。でも今夜はやめる。何だかやな予感がどこかでする。
BMW525といえどもやはり8年落ちだった。本来ならこの車、きっと鬼のような直進性があるはずである。でも少々ハンドルはプルプルしていて不安だった。金が出来たら、ダンパーとブッシュ類交換かしらね。どんな風に変わるのだろうか。新車当時の直進性や高速安定感への好奇が強く脳裏を横切る。やっぱり新車至上主義者なのかA。
鶴ヶ島インターで降りて街道でUターン。そのまま再度関越に戻る。深夜の三芳SAにはほんんど人影はなかった。三芳SAの前には、老人介護専門の病院がある。いつも思うのだが、あのビルの中できっと毎夜、痴呆の老人が病室内を徘徊している。廊下にはたぶん出れないように鍵がかかっている大部屋の中を。Aも20年後には過去を忘れた人になっているかもしれない。いや15年後か。いくらアクセルを踏み込んでも老いは遠のいてくれやしない。
     
●関越自動車道三昧2 (2002年9月18日)
今夜は200km/hを出してみようと関越に上がったら、結構混んでいた。100m弱の間隔で車の流れが切れない。どうしようかと躊躇してる内に、川越インターの標識が後ろに遠のいて行く。
川越インターと鶴ヶ島インターの間は結構距離が長い。前方からようやくテールランプが消えたので初挑戦。アクセルを踏み込んで、まずは180km/h。ここまでは先日のように楽勝だ。正直、心臓バクバクでもう少し右足を我慢。ついに200km/hをメーターが越えた。生まれて初めての未体験ゾーン。気が付いたらハンドルの前で両手が突っ張っていた。回転計を見るのも忘れていた始末。何やら尻が汗ばんでいる。いやはや壮年Aの疾走は少し恥ずかしい。
     
●何で走るの1 (2002年10月01日)
何で走るのAは? どうして車なの? 逃避? 決着? いや、それは移動かもしれない。距離を移動すると何かがAの中に生成される。長い距離を移動すればするだけ、Aは何かを確実に得る。それが何だか分からないけど。癒し? 安定? センチメンタルジャーニー? とにかく移動前と移動後では何かが違うのだ。心の底が安定するのだ。
Aはその事に何年も前から気づいていた。だから、軽く裏付けをとる実験のつもりで、春の暖かい日、仙台まで日帰りを決行してみた。移動には車でなく新幹線を使った。東京駅で無造作に仙台と目標を決め、仙台駅に付いて直ぐに、駅前のバスロータリーの中から適当な市営バスに飛び乗ってみた。
仙台に3時間だけ滞在して直ぐに東京へ引き返す。夜、自宅に戻って妻子とテーブルとTVを囲む時、至高の幸福がやってきた。理由は分からない、無性に幸せなのだ。
それから火がついてしまった。仕事を強引に作って春に3泊5日で大韓航空の安チケットを入手。とりあえず太平洋を渡ってみた。LAに着いて次の夜、明け方の4時のホリデイINのベットの上でやはり悶えるような幸せがやって来た。不思議だ。だから夏にもう一度懲りずにLAに。やはり同じ幸せは来た。帰国してからも確実に幸福は2週間、Aの体の中に保たれる。
それと同種類の幸福が、車で疾走する度にいつも数時間は続く事をAは知っている。だからきっとAは車で走るんだと思う。長距離ランナーのランニングハイと同じかもしれない。もちろんSEXでもこんな幸福は得られた事はない。
     
●首都高速三昧1 (2002年11月2日)
誰もいない土曜日午後3過ぎの自宅。そろそろいこか。昨日、往年の横着がたたっての虫歯が原因で、歯茎を大きく切開。だもんで痛みと右のホッペタの腫れがまだ引かない。シリコンを入れていた昔の宍戸丈のホッペが下に垂れたような無様なホッペを室内ミラーに映して、毎度の環八を北上。最後の信号で鎮痛剤2錠を口に放り込み、高島平から首都高速に上がった。
5号線を一路池袋へ。循環C1を新宿方面から左回りに1周だけして早々に帰路に付く。再度、高島平から降りる。全走行距離73Km。ちょうど外苑あたりで、核融合の固まり太陽がメラメラ沈んで行った。狭い首都高速の上から見る東京の落陽はいつも広すぎる宇宙を十分に感じさせてくれる。
     
●首都高速三昧2 (2002年11月6日)
ちょっとその辺、車で一周してくると妻子に言い残し、トコトコと眼下の駐車場へ。525は今夜もすこぶる元気。暖気を早めに切り上げて環八に急ぐ。今日は高井戸から首都高速に駆け上がり、4号線を東に向かい循環C1を右回りに1周だけして再度4号線へ戻った。
家を出てから家に戻るまでの時間、約45分、走った距離は55Kmか。娘が、どこまで行った? と聞くから、その辺一周、と答える。まさか東京一周して来たとは思っていないだろう。
最近めっきり視力が落ちてドライブに支障が出てきたので、ドライブ専用のメガネを買った。4日後に出来て来る。新しいメガネをかけての首都高速がとっても楽しみである。
     
●首都高速三昧3 (2002年11月10日)
いつものように高井戸から上がって、4号線を東に向かい循環C1から箱崎。今日は先の9号線を南下して湾岸、お台場フジテレビを眼下に見て、レインボーブリッジを渡って右回り循環C1へ。芝公園、飯倉、神田橋、そして箱崎から再度9号線。これを3周繰り返す。
昼間なので東京湾の反射がまぶしい。芝浦PAに寄ったら、黄色いフェラーリと黒いNSXがぴったり寄り添って縦列駐車していた。ソリを入れたお兄さんが二人乗るシーマが狭いPA全体を威嚇していた。でもこちとら壮年、ノーマルなので相手にもされないみたい。
     
首都高速11号線 レインボーブリッジ
●首都高速三昧4 (2002年11月14日)
何が素晴らしいって、その景観だ。夜の11号線のレインボーブリッジ周辺の大景観。東京のウォーターフロントが煌めく中を上下する11号台場線の圧巻は一度経験するとかなりハマる。
湾岸からレインボーブリッジ方面に、左車線を駆け上がると白く台形の鉄骨で組まれた橋の中を通過する事になる。 橋の名前なんか知らない。壮年Aはこの橋に突入する瞬間がとてつもなく好きだ。かつて存在したNYツインタワーを連想するような左横の高層マンションから広い視界が開けた瞬間も好きで好きでしょうがない。
その先の本命レインボーブリッジを渡り終えてからの夜の東京パノラマはもっと素晴らしい。Aが生まれ育った東京が、こんなにも美しく広大な町だった事に不覚にも動揺するAが室内ミラーに映る。これがまた恥ずかしいくらいに素敵なのだ。
夜の11号台場線のこの限られた区間を体験したいが為に、C1新富町、箱崎、9号線木場、湾岸有明、そしてレインボーブリッジ、この料金所なき愛しき循環を今夜は4周もしてしまった。
途中、湾岸に出る手前でS500のKM印ハイヤーが余裕で追い越して行く。リアシートには新聞を広げる日本の典型的上場役員風な一名。あの方はきっと、あの方を愛する家族の元へとひた走るメルセデスのリアシートで、いつものドイツの上質な加速を味わっているのだろう。でも人に言えない内情の一つはきっとある。
いつものように4号線・高井戸から入って、高井戸に戻った。中央高速の集中工事が始まって永福からめずらしく渋滞。でも今夜の首都高料金700円は非常に安い。
     
●街道三昧1 (2002年11月21日)
ちょっと車走らせて来るから、と小声で妻子に言い残して暖かい居間を後にする。少しどもった。昨日発売の新譜CDを持っていそいそと駐車場へ。今夜もかなり寒いのでアイドリングもそこそこに車内暖気を早めにとってしまう。
8年落ちのBMWにくっついていた8年前の6連奏CDプレイヤーは恐ろしく絶不調。日にちが経つにつれて音飛びの頻度が増していく。最初は、これはこれでセコンドハンドの味があるし、なんて余裕かましてたけど、最近は笑ってしまうほどに音楽から遙か遠く、ただの音の連鎖が車内に響いているだけ、というような状態にも感じる時あり。今夜もだ。
旧早稲田通りから本早稲田通り、悲しいカナリアもいる子犬のコジマを右折して中杉通り、JR中央線・阿佐ヶ谷駅の下を通過して、何故かデザートだけが評判のデニーズを右折し青梅街道へ。JR中央線に架かる大橋を渡って、不夜城アメリカンエキスプレスビル、JR中央線・荻窪駅の前を、回転を少しだけ上げて、駅前交番の制服二人を意識しながら加速。
そのまましばらく巡航速度。善福寺手前の神社を右折。再び早稲田通りに入って、環八を左折して北上。矢原交差点を関越道方面に左折して、今夜は関越に上がらず手前の信号を急きょ左折。西武池袋線・石神井公園の開かずの踏切を渡り、千川通りから新青梅街道、そして振りだしの旧早稲田通りへ。
この道中、三菱、マツダ、ホンダ、トヨタ、日産、BMWにクライスラー、それにVWとメルセデスの中古屋2件の煌々たるショールームを舐めるように楽しむ。金のかからないつつましい趣味だ。ついでにAがこよなく愛する中杉通りの落葉もたんまり堪能。少し風が出ていたせいで、いい感じのAutumn Leavesがボンネットにパラパラと重なる。
秋深まる11月深夜に、30年以上も聞き続けてしまった井上陽水の、確かにジャージーな新譜が車内に溢れ、哀愁のフロントガラスに雲が切れた高い夜空の一等星が一つ、ほーら生きていて良かったでしょ、と俯瞰な態度で映り込む。壮年Aは街道脇で思う。これっていわゆる大人の時間かしらね。コートの襟を立てた女性が外の歩道を歩く。視線が合う。鉄とプラスチックで出来た箱の中は暖かい。中東から資本が運んだ液体資源が6気筒の中で熱に変わっている。暖気の中でヌクヌクと時間を過ごすAは視線を外すべきか迷った。
     
●何で走るの2 (2003年01月27日)
年末から年始そして今日まで、風邪ひいて寝込んで、仕事して、寝て食事して。それ以外の時間、ほとんどの時間、走っていたような気がする。もちろん健康を意識した朝のジョギングなんかじゃない。愛車94年式E34で走っていた。ストーンズが春にまた来日。だから大昔のストーンズのベスト版の中古CD買って来て、ひたすらリピートで鳴らしながら家の回りばかりを走り回っている。
杉並区と中野区にかけて、旧早稲田通りから早稲田通り、中杉通りに出て新青梅街道、アメリカ生まれのマクダーナーの先のV字カーブをターン・トゥ・ザ・レフトして再度、旧早稲田通へ。この1周約15分のコースを何周もする。狭いそこらの街道だからスピードは控えめ。でもきちんとラインをなぞる楽しみがある。
壮年Aは昔から家族にバカと言われる程の車好きなようだ。自分で運転するのはもちろん、タクシーやバスに乗るにも結構な楽しみを感じている。ただ・・・、毎日を仕事に追われ、自由になれる時間はほんの少し。この貴重な時間は出来るだけ車の中で過ごしたい。こんな思いでついつい愛車と共にする時間が長くなり、慢性的な運動不足に。
もちろん健康あっての車好き。分かっているのだが、限られた至福の時、どうしても運動よりも運転を選んでしまう。最近は洗車の回数を増やしたりして、車と運動不足の両立を計ったりしているが。車で郊外に出て、自転車走行やハイキングをするといった時間もない。車をあまり好まないAの妻は、健康か車かどっちなの? などと詰めよる始末。Aには車を売る気などサラサラないが、若い頃と違ってやはり運動不足は気になる所だ。
車を趣味にする生活と運動不足、この一見、両立なきテーマ。何か解決方法はないのだろうか、とAは結構本気で考えている。MTにすれば少しは違うかな。でも年末に突如出現した50肩は未だに右肩右手の自由を許してくれない。ギア変更が出来なくなったらどうしよう。ハンドル動作の切れがすでに悪くなっている。車三昧者にはかなり恐怖だ。
     
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