カルフォルニアR101を北上中
●LA三昧1 (2003年2月15日)
壮年Aの仕事はいわゆるInternet関係。西海岸に置いてあるサーバーが不調で、急きょカルフォルニアに3泊5日の出張に出る。マイル貯めてる大韓航空と、どこにでもあるHoliday Innと、日本語バッチリのさくらレンタカー。ただ単に慣れているセットだからか、とにかくAにとってはベスト・コンファータブル・チョイス。
初日は信じられない大雨。カルフォルニアでこんな嵐のような大雨あるんだ、ベニスビーチのピュアが霞んで見えない。リンカーンBLVDが水に浸かり、ディスクもドラムも全く効かない状態有りで結構焦るA。2日目曇り、3日目にしてやっとカルフォルニアの青い空。
今回は仕事に時間をとられほとんどフリーは無かった。でもでも移動はすべてレンタカー。コンパクトサイズとの要求に用意されていたのは、6万マイル既に走っているNISSANのSENTRA。ダンパーはさすがにスカスカ、タイヤの側面には深さ5mm直径10mm程の穴が数個えぐれてて、低速では気が付かなかったが、リアのバンパーの右側の取り付けビスが数個飛んでいて、スピードを上げるとバタバタとバンパー全体が今にも落ちそうな快音を放つ。
サンタモニカから海岸線をマリブまで楽しみ、右折して山中へ。クーラーONにすると5000は回さないと登りのスピードに付いて行けない。隣を3リットル・5リットルが悠々と追い越して行く。速度を無理に上げると踏ん張りが効かず理想のラインがなかなか取れない。やっとこルート101に乗ってひたすら北上。途中パンクかと思って路肩に2度止まる。2度目にリアバンパーの不具合に気づいて、とりあえずヒモ固定で応急処置。
マリナ・デル・レイ近くのタワーレコードで買っておいたCDを鳴らしてドライブ&ドライブ。下よりハイウェイの方が混んでいる。車間10〜20mの60マイルでじゅず繋ぎで流れて行く。道路表面の状態も悪くなかなか気が抜けない時間が過ぎる。
LAとシスコの半分位まで行って仕事で一泊、次の朝LAにUターン。快晴である。嬉しい。壮年Aは近頃ない幸せを太平洋とNISSANに感じている。帰途はハイウェイを外れ出来るだけ海岸線を楽しむ。誰もいないビーチが次々と現れ、後方に飛んで消える。NISSANの甘いブレーキと以外とナイーブなハンドリングにも慣れ快調に走る事が出来る。ひょっとして長かったかもしれない人生がこの一瞬で報われそうなフィールをFFで長い坂を下る最中に味わう。右は煌めく太平洋。薄くカーブする蒼い水平線が見える。アメリカ空軍の黒い戦闘ヘリが2機、海岸ルートと平行に追い越して行く。左は高原とカルフォルニアの典型アメリカンハウス群だ。
3日間、ホテル以外の時間、ほとんど走っていた。もう歳だし運動不足が確かに気になるが、カルフォルニアを疾走する楽しみに比べれば、他に何があるっていうのよ。でも、DUMEビーチで少しだけ車を降りてジョギングしてみたりした。散歩道ですれ違う全員に近いジョーカーから Hi! あの明るさに陽気に答える壮年Aは相当不健康に醜く見えたに違いないと思う。ガソリン給油の為に立ち寄ったスタンド横のスタバで白人に混じってカフェラテなんぞをすする壮年Aの姿がテラスの窓ガラスに海鳥と共に反射している。やはりここでも一番似合わない身体をさらけ出しているのは日本からノコノコやって来た壮年Aだったように思う。
     
●郊外の時間1 (2003年3月2日)
壮年Aがここに至って、何を血迷ったか人生初めての車の衝動買い。先週の日曜日の夕方、寂しさ紛れにふと立ち寄ったディーラー系BMW認定中古車専門店。5分後には、試乗も値引きもしないで不覚にも「これちょうだい」と一言を口走ってしまった。半年しか乗ってない94年の525iをその場で下取り査定、そして99年の328iにしてしまったのだ。セールスマンの書類作成の早かったこと。
引き渡しの本日は日曜日、そのまますぐに関越高速上って「花園」まで高速カッ飛び試して、帰りにこれまた衝動的に畑道を走りたくなって「所沢」で降りた。その辺の細い道をチョロチョロ回っていたら関越高速の直ぐ下を併走する一方通行に出た。(右の土手上が関越高速道路)
止めてエンジンを切る。周囲は、何もない、何も起こらない、静寂の何でもない景観。と思いきや、右上の高速を走る車のロードノイズがかなりの音でひっきりなしに耳に入る。自分のロードノイズは軽快だけど、人の音は決して軽快とは言えないし、24時間365日聞かされている高速沿いの人々は精神的に普通ではいられないだろうなと思う。飛行場の近くなんかもきっとそうなんだろう。車も飛行機も乗っているだけで幸せのAにとって、普段ほとんど考えもしない事だ。
この99年式の328iの走行距離はまだ10200kmだ。その割には履いているコンチネンタルの減りが早いような気がした。でもそんな事はどうでもよい。もうたまらない硬めのサスと、歳くった事が悔やまれる程にシビアすぎるステアリングと、220kmにスーっと達する加速感にもうAは恍惚の人になりそうだ。
     
愛しのレプリカ
●第三京浜三昧1 (2003年4月6日)
壮年Aの最近の夜はもっぱら第三京浜。あの短くも広い上下6車線は今でもかなりの魅力だ。そういえば数10年前、ここには行き場のないフェラーリやポルシェがいつもウロウロしていたなー。あの頃の人達はいったい今どこで何に乗っているのだろうか。もう死んでしまったかもしれない。
自宅の杉並から環八を南下、中央高速・東名高速を過ぎた所にやっとこさ現れる玉川の第三京浜の入り口。急な左カーブを手に余るロール我慢しながらドンドコ切って料金所を後にすれば、一気に視界は広がり玉川を渡る直線で右足はウズウズしてくる。
行き先はいつも都筑か港北だ。夜のシャッターが落ちた店も結構面白い。資本力を見せるディラー系が一番綺麗でハリウッドのショーウィンドーのようだけど、マニアのかけ込み寺的チューナーもこの辺には沢山点在している。そんな一つ一つの店の前や駐車場に残る数年前のヤレたヨーロッパ車は何かを余生に残そうなんていうジタバタからはほど遠く、短命を必死に生きて散る姿そのもののような強さを放ち、その間に時々見え隠れする素敵にレストアされた国産車は、氷河山脈奥深く数千年に根を生やし膨大な歴史を肴に何かを語りかける絶対的な存在植物のようにAに話かける。そんな時、Aはおもわずサイドブレーキを引き、不覚にも車外に降りたってしまうのだ。
昨日の土曜日の昼、この地域でAはまたもや衝動買い。クレジットカードのリボ払いと引き換えに手に入れたACシュニッツァーの1ピースもの。17インチにヨコハマの世代交代物AVID215/45がセットになって、これでもかと街道沿いに積んであった。ホイールもタイヤもピカピカ新品、でも実はシュニッツァーはレプリカだ。でもでも近づいても分からない、触っても全く素人は気づかない。センターキャップには、シュニッツァーの本物エンブレムまでしっかり貼ってあった。Aは笑いました。あまりにもやり方が可愛くて。なんか、強度とかバネ下なんてこの際まったく関係ありません。だから買いました。とってもリーズナブルなお値段だし。
米英軍がイラクに入ってから数日が経っている。FENのNEWSは時間枠を延ばして、愛しい第三京浜までも巻き添えにしてさっきからまくしたてている。たしか攻撃開始の初日は東京地区の地上波は全て24時間体制で放映していた。世界中でなにやら反戦運動が盛んで、一昨日のトイレのドアには妻の手により「No War」のポスターが貼られ、娘のホームルームやPTAのテーマも、反戦だそうだ。
でも恥じる素振りもなく、最近の壮年Aの感心はもっぱら愛車E46に履くホイールのインチ数につきた。18インチにしようか、17インチにしようか、メーカーは、はたまたタイヤのサイズは・・・ 壮年Aのベットサイドには各社出版のBMW本が高く積まれ、時代のヤフーオークションで手に入れたあの青と白のエンブレムもが中学生の部屋ように壮年の寝ぐらの脇を飾る。雨が降っても傘は有るが、「きっと、それは、いい事だろー」。そんなもんだ。
     

●郊外の時間2 (2003年5月3日)
GWの中日、2日の金曜日を強引に休みにして、1日の木曜日の深夜、おそるおそるエンジンスタートをきる壮年A。そして2日の金曜日の深夜に帰宅。24時間で約1000kmの走行距離をオドメーターは表示している。名も知れぬ山麓PAで6時間の爆睡、飯2回と街道のコンビニ立ち寄り、その他所用で計4時間を消費かな。あとは走りぱなし。ということは平均時速71km/hか。一般道と高速を使い分けて走ったけれど、思っていたより平均値が高い。何故かとっても満足なAの顔。
そりゃそうかもしれない。夜の高速で3度程、朝の高速では2度は巡航210km/hを出した。いずれも前の車に追いつく数分程度の200kmオーバーだけど、追い越し車線を走っている時は常に140km/h以上だったし。
今回はハイテク機器に頭が下がる。道路公団の新兵器ETCがこんなに便利だったとは知らなかったし、最近のスピード取締感知レーダーがこんなに正確に作動してくれるとは意外だった。広告通りにGPS波を検知して覆面パトカーの接近をちゃんとご主人様に知らせてくれるのだ。
途中、海を見たくて海岸線に向かったら某原子力発電所に遭遇。朝の職員の出勤時間と重なったので、知らん顔してゲートをくぐろうとしたら警備員8人が束になって我が車を囲んだ。隊長みたいのが黒いハンディホン片手に本部の指示を仰いでいる。何故か20分も強制的に止められる。ナンバー照会しているのかもしれない。車外に出て、発電所内を思惑げに見渡したり、象徴的に立つゲート脇の放射線測定機内の数字を分かったようにチェックしていたら、出てけ、と言われた。
もう若くない壮年Aが一人で車を飛ばし距離を回して残り少ない時間をまたもや消費しただけのつまらない話。朝の地方の海岸に立ち、地球の円弧を感じる位の大きな水平線を保守的な太陽光の彼方に見倒すと、直ぐにやってくるGW明けの社会復帰が少しだけ正当の行為に思えて来るからとっても不思議。
     
●郊外の時間3 (2003年9月2日)
88歳の実母が5月21日の早朝、ロレツの回らない電話で壮年Aの助けを呼んでから3ヶ月以上が過ぎた。あっという間の時間だった。
2週間入院して、5週間Aの自宅にいて、今は有料老人ホームにいる、というか入れた。壮年Aは1週間に2回のペースで会いに行く。母のいる老人ホームへは1回往復120kmの距離。だから週に240km、定期的に最低、月間1000kmの距離を移動する生活が始まっている。もちろん車での移動は全く苦にならないが、同じ道路・同じサービスエリア・同じ風景の中を走るにはそろそろ閉口かな、が実感だ。
壮年Aは、平凡に21歳で両親と離れて暮らしたが、父親が亡くなくなった年まで、その12年間で実家に帰った記憶が2度しかない。その後の17年という膨大な時間の中でも、一人暮らしの母とそこそこの行き来はあったが、これといって深く母の心が開いたわけではなかった。と思う。でもここにきて急に壮年Aとその実母の距離は縮まり始めている。と思う。要介護1の88歳に対して週に2回、物を届け、洗濯物を引き取り、世間話しをして帰る壮年Aも既に50歳になってしまったからかもしれない。
その母が昨夜、部屋で転んで顔面を床にぶつけ、目の周りに大きなアザを作ったらしい。いつものヘルパーが母を病院に連れて行ってくれたらしい。明日また会いに行くが、なんだか複雑な気持ちだ。的確な表現が出ないが、一番近い言葉を探すと、恐い。その顔のアザを見るのが少し恐い。あの深夜の首都高速上の光束の中で一瞬感じる、誰でもいいから優しい人に無性にすがりつきたくなる、恥ずかしい孤独よりも恐い気がする。
     
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