首都高速のどこか
●首都高速三昧5 (2004年1月22日) 
WinNYやLimeWireから拾った音を集めて借金BMWに詰め込んで、今夜もひたすら第三京浜から首都高速へとひた走る壮年Aの今のチンケな人生に、人に言えない程の焦燥が有るか無いかは知らないが、とにかくも本日も、夜の横浜ベイブリッジからの全景観は見事なまでに奇麗だし。
深夜手前の秘め事のように浮遊する2時間をハンドルを前にして相当に格闘するサマは、いつ死んでもいっこうに構わないのよ、と室内ミラーに顔半分が写る青い目になれなかった目が語るように、まんざら虚構でもないんでしょう。いずれ訪れるはずの終章が遥か遠くから近づくように、巨大な横浜ベイブリッジがフロントガラスを支配して後方に飛んであっけなく退く。
時速にして140kmを超える辺りから、緊張が自由な意識を追い越し始めてくれて、後になって気付く三昧空間に壮年Aを解放する事はちゃんと知っている。だから酒の力を借りるがごとく右足首にどんどんと力が入るのは当然の成り行き。余裕をなんとか作ってよそ見をすると横浜の光パノラマが眼下を濡らし、毎度の、あ〜生きていて良かった、に一瞬にして変わってしまう軽薄な資質を持つ浅く狭い腹の内がバレバレだ。
ただいまハニー! とアメリカまじりに疲れ顔して帰宅して、妻子に、ちょっと近くで打ち合わせ、なんて再び外出する父親なんてそうそういないだろうな。それを日常のごとく、いってらっしゃい、なんて見送る妻子もなかなかの女子。夜の10時・11時に打ち合わせなんて、芸能プロダクションじゃあるまいし、妻子も、はは〜ん、今夜も自己中BMWね、なんてやっぱバレバレだ。
駐車場から聞こえるエンジン始動音にハラハラしながら自宅をおん出て、何事もない顔で帰宅する間を埋めるAのタイムテーブルはいつものように首都圏の地上10数メートルを永遠に滑走する、飛ぶ感触をとうに忘れた老いた翼を従えたAの反面をえぐり出すように最長2時間できっちり消滅してしまう。
     
●首都高速三昧6 (2004年1月25日) 
高速道路が高い場所に出ると壮年Aの気持ちは踊るよう。注意深く観察すると、視界が広がるというよりも地上高が高いという条件が彼には大事なよう。新宿西口の高層ホテルの白いスイートや、ウォーターフロントに並ぶ高層マンションのベージュのベットルームから下界を望み、20パーセント以上の蔑む気持ちが芽生えれば、きっと私もあなたも壮年Aになれる素質がある。と。
人よりも速く走って、人よりも上手に曲がって、人よりも高く舞って、見下ろして、見下す事が幸せに直結するんだったらこんな簡単な単純な図式はないでしょう、なんて、あの人は言う。でも残念ながらこんな簡潔な図式が壮年Aの体内にはある。
フェラーリやポルシェの例はあるが、BMWもそれなりに価格が高い。新車を購入して、きちんと乗れるように毎年メンテナンスをして行くにはそれなりの金がかかる。才能で少し成功したり、商売が少し上手く行ったり、悪事で少し稼いだりしていなければ、平民の生活を送っている以上、この不景気な中、代償として生活の何かを切り詰めなければならない。そして壮年Aにも大した財力はなさそうだ。
やっぱり、壮年AのBMWは中古だし、毎年のメンテナンスも満足にできない。サス以外はドノーマルだし、そのサスだってポリシーが中途半端だ。自宅近くのあの人のように7万Km走った8年落ちの国産セダンを静かに連れて来て、自分で日々手を加えながら仕上げて行く盆栽のような極上の楽しみを見せつけられると何かが壮年Aの脳をかすめるも、ただただ走り込むしか能が無い不自由そうな背中を漂わせながら毎夜エンジンに火を入れる。しかもこういう夜はいつもスタートの初速度が速い。
BMWのLOGOタイトルは「駆けぬける歓び」、「Fun to Drive」だって同じようなものだけど、適度なワインディングロードとスピードと固めのサスがあれば、本当は、あとはなにもいらないのよ、と誰か優しく教えてくれないかしら。例えば本日C2でおもいっきりAを抜き去ったE320の左ハンのお姉さんあたりが。
     
柔らかい加重
●関越自動車道三昧3 (2004年1月28日) 
かわいい自分の娘の誕生にと歌を作るような全能の父を持った娘はさぞかし幸福な人生を送るんだろうな? と壮年Aが娘に問うと、一言「わからん」とのレス。答えるのが面倒だからの「わからん」ではなく、父親に愛される事が自分の将来の幸福に直結するかどうかはわからない、という現実的なお答え。確かにそうだ。愛されたからって、愛するとは限らないし、もらったからって、必ず返すわけではない。
20年弱前のここ、関越自動車道は空いていて、ストーンズのボリュームを目一杯上げて疾走した記憶がいつもここで蘇る。その時の車はダンパーを交換したばかりのゴルフ2。今思えば、一番愛してくれていると確信がある人に死なれたくせに、冷静にアクセルを床まで踏むつける自分の姿を同乗者にちょっと演じてみたくなる、不要な、愚かな、無意味な行為を狭いゴルフの車内で、入口の練馬から出口の鶴ヶ島までずっとやっていたアホな青年A。
みつめるばっかりで、みつめられる事に全く慣れていない男性は、その後色々に揉まれながらも壮年Aに脱皮して行きました。そして今になって父に一番愛され、みつめられていた事実に気付くも時すでに遅し、ていうよくあるやつ。
去年の夏にAの判断で老人ホームに入れた母のもとに週一で往復する関越自動車道。父が死んでから20年弱、ひたすら走る関越道も、既に若い頃から数えれば500往復は確実に超えている。今日も暗くなった車線に最高速を何回か挑むも、直ぐに前の車に追い付いてしまう。いつも頭のどこかに意識する、願わくは来ないでほしい2度目の悲報まで、悔いのない往復をと心がけるが、悔いの残らない心構えっていったいどうすればいいの? と毎夜娘の寝顔に聞いてしまう。そろそろ残量が見え隠れする枯渇まじかの情熱を振り回してオドメーターの数字をいくら伸ばしても所詮、限界はあるし永遠は無いしなぁー。それともまだまだ走りが足りない?
     

湾岸B
●首都高速三昧7 (2004年2月1日) 
ただただそこらを走り回っているだけで満足しているのがいい。ステアリングを回したり、軽く制動をかけたりする慎ましい喜びと、都会景観の中でちょっとした実存を味わうだけで充分なのに、何かから逃げたり、何かを忘れようとして、何かを解決しようとして、ついには不覚にも正夢を追いかけて走っちゃうから全てがややこしくなる、と壮年Aは毎度の湾岸疾走の中で口走る。
こんなHTMLを夜な夜なUPしている場合ではない。そんな時間があったら走って走って、残りの人生を走り倒す方がもっと気持ちいいはず。最高速を犠牲にしてでも低回転でトルクを上げて、サスを固めてロールを抑えて、本気で首都高を攻め嬲った者の快感顔が深夜の黒いフロントガラスに重なればそれで全てが満ち足りるはず。
ランエボの飾り羽のケツに貼付いてあっという間に置き去りにされたAの目線が湾岸Bをもがき、次の獲物とばかり余裕で寄ったミニにもまさかの敗退で、微笑をたたえて降りた吹きだまりユートピア。大黒ふ頭にずらりと並ぶスカイラインRSターボの男組の遠〜くに止めて、今日はカフェオーレ。お好みCD鳴らして大空を仰げば、あれもしかしてUFO? なんてのがとってもいい感じのお歳頃。
ベイブリッジの彼方の夕焼け空に一直線に延びる二本の飛行機雲を見て刹那のICBM飛来を夢みる時代もとうに終わったし、だいちそんな事、今となってはどうでもいいし、もしかしてC1やC2は車三昧者達に提供された受け皿的回るサーキット? なんて軽言して少し叱られながら、需要と供給の基本原則の中でしっかり中東ハイオクと拘束ETCを消費しながら、野狐禅的、自殺志願者が線路に飛び込むスピードでトンネル出口の光を思考ゼロで彷徨い目指して、夜光虫のように本能で加速していれば間違いはないのよね、きっと。
     
●首都高速三昧8 (2004年2月15日)
壮年Aが皆の前でゲーム「首都高バトル」の話題をほざいたら、ある若者が中古のプレステ2をくれた。せっかくだから近くのゲーム屋でソフト購入。プレイしてみたら、あらまいつもと同じだ。違いはバーチャルというだけ。首都高速がきちんと3D化されてTV画面の中に実存している。ステアリングを無理に回すとタイヤも鳴るし、壁に擦るとコントローラーの中の重り?が震える。
左右に飛び交うビルや看板の景観もちゃんと書き込まれていて、車全体を俯瞰しない運転席からの目線にセットすると、もうほとんどAが毎晩やっている秘事と同じ。しょうがないから少し苦笑をもらす。木場方面から湾岸Bに合流して左に逸れて、レインボーブリッジを駆け上がる大好きなコースもそのままバーチャルで楽しめてしまった。
この事実はいったい何を意味するのだろう、なんて小哲学を解決する頭脳はないが、実像と虚像の間に物理的距離はあっても、目的が快感で、その快感が変わらなければ、それでいいの? どうなの?
TVの前で考えていてもラチがあかないので、それを確かめるべく今夜も首都高に上る。ここでステアリングを右に切ると確実に死ぬカーブとスピードがある。これがバーチャルの場合だと死なないで済む。さて面白いのはどっち?
例えば、バーチャルでもヤミで衝撃装置が出回ってきちんと死ぬ事が出来るようになると、どっちが面白い? ここには費用の問題も想像力の問題もあるけれど。レプリカント相手のSEXと同じね。本物の人間とレプリカントではどっちが気持ちいい? 本物の北海道産イクラと石油で作った化学イクラの違いに自信がないダサい舌を有するAにはなおさら不明だ。ちなみに、身近な妻に聞いてみた所、現実を楽しめ、と軽くあしらわれたとか。
     
魅惑のRacingDynamics
●いじくり三昧1 (2004年3月2日)
確か、ただただそこらを走り回っているだけで満足しているはずの壮年Aが、先週、神に導かれたがごとく手に入れた快感仕様の詳細は以下。せっかくの絶妙な車体バランスも、いじくる極楽には勝てませんでした的、大衆ティピカルな車乗りの欲望をさらけ出してしまった事にある種の羞恥心を感じながらも内心満面の笑みだ。極上のバランスが既存していて、それに何かを足すという事は常に何かと引替え、という大原則がこの機械の固まりにはある。それを壊す事の喜びと、負担が負担を呼ぶ連鎖のリスクを両天秤にかけても、軽薄な気分屋は本能で見切り発車してしまう。人生は短いしね。
ハンドリング命のロアコンブッシュの定石点検、でも期待に反して異常無しで今回は交換を見送りだ。内心つまらない。
1年前の愛しきACシュニッター(17-7.5)レプリカホイールを、ラテンルンルンのRacingダイナのRD2(17-8)に変更してしまった。
今や廃盤叩き売り状態のYokohama AVIDを、超売れっ子スポーツ派あのMichelin Pilot Sport (215-45-17)に変更。ほんとは225だけどわざと気持ち引っ張りました。Pilot Sportのショルダー形状と轍や路面の凹凸との関係を改善するための愚かな処置。根性なし。
ノーマルサスから、赤いSachsパフォーマンスセットに変更。もちろんアッパーマウントも大交換。前後約3cmのダウンを手に入れて視界の変化に気付く。ショックの赤がどこからも見えないのがやはり悲しい。
ブレーキ交換。これは単にノーマル純正のローターとパッドを交換。ブレンボは予算の事もあるし次回に。といっても現行の制動に不満全然なしなんだけど。
アライメントを徹底的に調整、でもまあ微調整の域で大きなズレなし。
こんなんで、最近は毎晩飛んで飛んで、飛び過ぎて真っ白のA。突き上げというより、Sachsサスで予想外に跳ねるようになって何かレーシングな雰囲気が車内に漂い、もう腰ヨレヨレのAかも。
     
●東北自動車道三昧1 (2004年3月22日)
仙台への出張。早朝の新幹線で行くはずが、前夜のAはやはり相当の気分屋で、急遽の深夜の愛車出し。薄い毛布一枚リアに積んで後先考えずに東京をおん出てしまった。前夜9時に自宅を出て、軽る〜く飛ばしたら3時間後のミッドナイトには仙台手前に着いてしまった。明け方の高速PAはまだ氷点下だ。当然のごとく、次の朝はもうろうとしてお客様の前へ。その夜取って頂いたビジネスホテルではヘロヘロの爆睡。
帰途、まっ昼間の東北自動車道。レーダーONで鼻歌調子でいいきに飛ばすAの愛車はきっとどっかのカメラで多角的にある一室で捕われていたのかも。シルクロードのように一直線にド空きの、限りなき愛しき追い越し車線。左車線を見てもバンとトラックしか見当たらず、よしきた囃子で巡行190km/hの10数台ごぼう抜きだ。
車群を抜き去った瞬間でした。点滅しながら我を追ってくる金属物体の中には、制服らしきお二人の男性が慣れきった表情で鎮座され、おもむろに黒い巻き線付マイクをその手に。
助手席のドアが開いて、若い方の警官がこちらに歩いて来る。ここで、What's up? なんて言ってみたらきっと銃殺だよね、なんて誰かに呟いてから、動揺に備えしなくてもよい小さく深呼吸。パワーウインドーを下ろすと同時に彼から発せられた一言「随分とお急ぎのようで。ニタ」この一言で壮年Aは、免許取消、罰金10数万、もしかしたら簡易裁判?をも一応覚悟したよう。90km/hオーバーだもんなー。
マリファナ所持で死刑になる場所もあれば、何の罪にも問われない場所が地球上には存在する。戦争で人を殺せば英雄で、町で人を殺せば死刑だ。190km/hで走り抜けても何の問題も起こらない道路と、とっても問題になる道路も地球上にはある。そんな事を覆面パトカーの後部座席の上にケツを置いて薄考していたAは、差し出された額面6000円也の納付書を見て、一瞬の躊躇なく人さし指に黒インクを付けていた。運転席にある計測機のデジタル数字は目を疑う136km/hで止まっている。限られた短時間の計測で充分ではなかったのだ。まけてもらった罪状は、追越し車線の通行帯違反という名前。
認めて、書類が済んでから、「お手数かけました」とAはハッキリと言う。それに対して「制限速度は守ってください、お気をつけて」と年輩の警官。若い警官は別れ際に、「おたく運がいいですね」と少し方言を含むイントネーションで言った。
ここは東京ではなく地方だという事を実感しつつ高速道路の避難帯で、暫く周囲に広がる栃木の田園と青空の境を見つめていたら、スピードばかりを追い求める最近の我が車姿勢の中に急につまらなく色あせたような気配を感じて、ふと我に返ったAの長い影が最後の砦的楽しみをも無くした老人のように寂しく肩を落としてAから浮遊し遠ざかって行った。かに見え、目の前の豊かな田園を相手に少しだけ笑ってみる。その上、でもまあ全開だけの人生でも単純すぎるし虚しいかもね。なんて事も広い青空に向かって一言放ち、やっとこさ車に戻る。新幹線が遠くで合理的に駆け抜けて行くイメージを感じた。
     
●管理されているのね1 (2004年3月25日)
知っている人は数年前から知っている、Nシステム。自動車ナンバー自動読み取り装置。これがこんなに配置稼働されているとは・・・、深夜の街道で愕然とするA。
数日前、古いレーダー探知機を最新のものに買え変えた。目的は、高精度のカーロケーターシステムだ。緊急車両の接近を知らせてくれるもの。これはこれで充分に満足しました。でも本当に考えさせられたのは、新しいレーダー探知機に付いていた、Nシステム探知機能。ナンバー自動読み取り装置の設置箇所が近づくと、その存在を知らせてくれるもの。
都内の幹線道路には数Kmごとに設置されていた。首都高速の入口と出口には間違いなくあり、高速の途中にも数Kmごとにあった。この全てがたぶん365日24時間、下の道路を通過する数10万台単位の全車両のナンバーを自動で記録しているのである。可読率がどの位か知らないけれど。
例えば、この某大な記録にナンバーで検索をかけると、おそらく、xx年xx何xx日のxx時に目的の車は、何処を通過しどの辺りを回って、いつ頃帰った、なんてその日の軌跡も判明するのだと思う。
もしかしたら、土日だけの休日ドライバーの傾向、深夜だけ走行の怪しい車・・・これらの統計や素行も区分けされているかもしれない。これって考えれば考える程に衝撃ではないだろうか。少なくてもAにはそうだ。
そういえば、左バンドルの不自由からETCを装着してもう少しで1年。まったく意味がない高速上でいきなり、「認識しました」とか、「利用しました」なんてETCがしゃべる時がある。これは明らかにご主人様に黙って何かを誰かと送受信している仕草である。
管理されやすい世の中の実感はあったが、知らず知らずの内に体制に見られている、というのが私にとっては非常に気持ち悪く、矛先のむけようのない感情が久々にAの狭い心にも湧いたのは事実。
     
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