奥秩父辺りにありそうな、実はマリブーの峠(山の向こうは太平洋だ)
●LA三昧2 (2004年4月18日)
LAは1年と2ヶ月ぶりだ。今回も3泊5日の強行移動。目的はいつも北だ(朝鮮ではない)。セコくエコノミーでマイレージ貯めてる大韓航空はいつも朝のLAに不時着する。時差で知らず知らずのうちに狂うボケ頭を駆使して、朝一のLA、LAXからまっすぐ延びるCenturyをいきなり疾走している壮年A。もう明らかに状況の変化に付いていけない歳を心の隅に隠しながら、なんとか405に乗って101をひたすら北へ北へ。(もう少しで南へ行くところだった。マジ冷や汗だ。)
壮年Aが若い時分から好んでやまないCA。まあ時代というのかしらね。Santa BarbaraからSan Luis Obispoの先あたりまでを、少々イカれたカローラで2日半も彷徨い走る。LAへの帰途、さすがに飽きた8車線の101上で発作的にハンドルを右に切ってしまった。だって定番MAPのRand Mcnallyには何とも魅力的なクネクネ道がネコタン(だっけ?)の線画のようにクネクネまんまで存在しているんだもん。ちょうどMalibu(マリブーと伸ばす?)の手前の山の中か。ビートルズ風に言えば華麗な旋律ワインディングロード、ドリフト兄貴風に言えば、一言、峠か? 正確に地図を読むと、郡道23号線?(Decker rood)って書いてあった。
箱根や日光や河口湖の裏あたりのクネクネを想像していました。でもちょっと違って焦るA。狭い車線はかなり恐い。谷側が少し盛り上がっているけれどガードレールの類いのものは一切無し。既に6万マイル走っているカローラの足は当たり前田のドノーマル。しかも起伏がありすぎで、直線でも15m先に何があるか分からないのスリル(ちょっと笑う単語)の連続。鋭角な小カーブの途中でいきなりデカいFORDやDODGEが目前に登場したりする。走って来るのはほとんどがごっついSUVだ。軽る〜いセダンなんかで剛性なしで飛ばしてる眼下の危な〜い中国人風なAを明らかに軽視するアメリカン男の腕には変なタトゥーばかりだし。だもんで下りでブレーキ踏み過ぎだよ。油圧抜けたらおしまいの世界だ。悪戦苦闘するAの横を地元の中年ライダーが3台、膝を擦るように斜形して抜き去っていった。
やっとこさ海岸沿いのいつもの風光明媚な1号線に戻ったAは直ぐにもスターバックスにカローラを入れてしまう。アメリカでいつもIcedと強調するもHotなカフェラテを出されてしまうAの頼りない発音はどことなく今日の心境をも反映しているかの様。隣のガソリンスタンドではクレジットカードのZIPコードの入力を何回やっても拒否されるし。な〜んか、いくら走り続けてもアメリカは広すぎるし切りがないみたい、なんてカローラの中で太平洋見ながら呟いて、人生の行き場を再び見失ったかのようなAに、遠く首都高がとっても懐かしく愛しく海の向こうでニヒル(これ古いけど好き)に斜視したようでした。

     
LAX近くのBest Westernのほどよい窓から
●首都高速三昧9 (2004年4月24日) 
東京で先週のCAの醒めた欠片を拾いながら、落ち着かない首をウィンドーに傾け車をまったり転がしていると、Aにとって具合のいい、ちょうどいい広さ・大きさの、ギリギリ統治できる許容が正確に見えてくるように感じる。アメリカは車線も土地も広すぎて、走っても走っても具体形が先に見えてこない。とらえがたい空想を追いかけているようなドライブが果てしなく興醒と共に続き、永遠の地平線と共に本当にキリがない敗北感さえCAの夕陽に感じたりするのだ。車がただの車でしかなく、それ以上でもそれ以下でもなく、中東からの油を熱と動力に変えるだけの固まりと化してハイウェイの上を蠢く昆虫のように直線的に無駄なく進んでいる。
希望や夢を叶えてくれるはずの大人の最後の玩具が、ただ一辺の移動の道具として存在する寂しさもあることはあるが、それよりも現実を直視せざるをおえない運転に引き戻されるというか、豊かさや貧しさをメーカーや車種にストレートにさらけ出すアメリカのハイウェイにおいて、東京の深夜の首都高から見るウォーターフロントのパノラマの中の己の存在感には、想像すら難しい、遥か遠い出来事のような違和感があるのだ。Aにとっては。
久々に走る首都高は以前と同じように狭く、警視庁のスーパーコンピュータにより管理され、ディズニーランドのアトラクションのように整備され有料化されているけれど、そこを疾走する気分は決して不快ではないし、日々のメンタルな要求にきちんと答えを返してくれる信用出来る安定した物体なのだ。やはりAにとっては。
というような薄い感情を頼りない右脳か左脳に滲ませながら久々に深夜の芝浦PAで缶コーヒーを飲んだ。お台場のレインボーブリッジからのキャピトルシティ東京の180度の景観は相も変わらずアメイジングの一言で、たとえそれのほとんどの要因が電気という半存在が司る無数の発光にあるとしても、その全てをなんの疑いや反発もなく受け入れてしまう新しく優しい許容がCA帰り一週間のAの中にきちんと輪廻するのでした。

     
自宅近くの右肩下がり
●関越自動車道三昧4 (2004年5月1日) 
今年も定番休日群のスタート、何を頼って走ったらいいかますます分からなくなるゴールデンウィークの始まり始まり。壮年Aもビスケットのカケラ頼って、気にならない程の人生の残り時間費やして、夜ごと繰り返す彼と彼女のパーティーに? (そんなのが何処かにあればね) お気に入りのサングラスで中国人のようになって5月1日の強い陽射の中、土曜日定番の母のいる55km先の老人ホームへとアクセラレーターをグイっと踏み込むと、そらほらすぐに5000回転だぞ。
いきなりの関越の30km渋滞で腰砕け、青い高い空を見上げれば、西に延びる飛行機雲がICBMの刹那の軌跡のように。昔アフガンNEWSで見た携帯型の地対空ミサイルがあればもっと奇麗なのにと嘆きながら、そろそろ母が倒れて1年が経つな〜と独り言。どこもかしこも周り中ミニバンだらけのGWの高速道路、そんなにあなた達、バンがいいの? それはただ単に広い方がいいからなの? そんなに家族が喜ぶの?
ふと前を見ると旧型の日産プレジデントがステップバンとセレナに前後を挟まれている。運転者は若い男、後部座席は空いている。緑ナンバーではなく、10年以上はたぶん落ちている車体はよく整備され磨かれている。色はアズキ色を薄くしたような淡い中間色。自分で塗ったのだろうか。内部には目一杯の音量でROCKが流れているらしい。若い男は曲に合わせて渋滞の中、激しく体を動かしていた。旧型プレジデントの斜め後ろから見れる、ほどよい曲線のデザインが好き。左ハンドルがあればとっても欲しい。
あと2ヶ月で89歳になる母を二つの病院にショーファー役で連れ歩き、老人ホームの母の一室で、A自身が去年の秋、池袋の東急ハンズで慎重に慎重に選んだ小さな薄茶の2人掛ソファーに二人できちんと並んで座り、5月1日の埼玉の青空を見上げたら、やはり西に延びる飛行機雲があった。TVを見ない母はイラクで釈放になった3人の民間人のインタビュー模様を読売新聞で細かく読んでいた。出来る限り客観的に社会的にその話題に終始する。GWの始めの土曜日の午後、2時間半を高齢の母と話した。母は小学校の先生、壮年Aは少年期に度々、夏休み出勤の母をそのガランとした職員室に訪ねた。その時もあえて社会的な話題を選んで話した記憶。まだ小学生なのに。
帰途の関越高速道もまあまあ連休なのかしら混んでいたかな。上り関越道最後のSA、三芳SAの夕暮れは大昔からAの大好物の一つだ。いつもの特大コロッケ210円にソースたっぷり流して茜色になりかけた西空を見上げると、本日3回目の飛行機雲だ。歳とって自分じゃ気が付かないうちに涙もろくなっている壮年Aの涙が20秒間だけ止まらなくなる。サスを全とっかえしてから約2ヶ月、最近は無造作にハネなくなりイイ感じだ。いつまでこの至福らしきものは続くのかしら。

     
光束のなせるお台場
●首都高速三昧10 (2004年5月3日) 
GW中にしなければならない、間に合わない仕事がある。中3娘のバスケットの試合の応援も3試合ある。GW中に読もう、聞こうと溜めた本とCDもある。それを全てゴミ箱に捨てて今日もステアリングを握ってしまう。「右前方1km先に高速道Hシステムがあります」新しくしたユピテルのレーザー探知機は天空GPSからの警告も喋る。こんな有り難い機器もOFFにして無音の車内と共にひたすら湾岸BとC1を廻る。
レインボーブリッジの上で渋滞にあった。あのお台場にかかる橋の真ん中で長い車列がトロトロと止まる。左下にはフジテレビの玉が輝いている。こんな場所での渋滞は初めての事。吊り橋の揺れの向こうにいつもの東京の夜の半分がある。手前の眼下には、黒い穏やかな東京湾の水に接する倉庫や桟橋もハッキリと見える。
遠くに湾曲する高速上のテールランプの赤が停泊中の運搬船のデッキにユラユラと反射し、煌々と輝く東京タワーの強さの傍らで壮年Aのセンチメンタリズムをまた少し刺激したかもしれないけれど、香港や函館や神戸やマンハッタンや他の都市でも、夜走ればきっと同じような、もしくはそれ以上の景観に遭遇し、同じような、もしくはそれ以上のセンチメンタリズムを体験する人間が世界中に増えていく、でしょ、そうでしょ。
素敵な景観が、癒される夜が、徐々にでも世界中のドライバーの心の中に蓄積していけばきっと世界は救われ、テロや戦争や飢えや、その根源となる利権や私欲のない理想の世界が開かれていく、なんて事にはまずならないだろうなー、とタワ事してたら渋滞はいつのまにか動き出して後ろのスカイラインから軽いクラクションを受けた。
人生もそろそろ先が見えてきて短かくなってきたので、何をゴミ箱に捨てて何を残そうかと次の渋滞の中で考えていたら、なんと残すものがこれといって無い自分に気付くA。あれれ、と思った時、インデペンデンス・デイのように宇宙から突然何かが降って来て、今ここで、この首都高の渋滞の5月の夜、瞬間的に無痛で人生が終わればいいな、とマジに感じました、すみません。(すみませんの対象をあえて探すなら、私を生み第2次世界戦争をくぐり抜けてきた両親とそのご先祖にかな、すみませんが)

     
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