深夜のDon't STOPかも
●自宅三昧1 (2004年5月13日) 
Lost in Translation, American Beauty わけありポルシェ乗り男児から薦められて見た映画、2本。どちらもアメリカ人の中高年の危機話しだ。これ見て、もしかして少し元気になっちゃったかもの壮年Aとしてはこの際、もっと元気になっちゃおう節でハンドル回す両腕もかなり軽る〜い毎日だそうだ。俺、もしかして勝ち組か? なんて騒ぎながら飯田橋の5差路左折して一気にアクセルを踏んでも直ぐにブレーキ。そのまま大好きマクダーナーに駆け込んでフレンチフライとコークの大盛り持って、鏡に写った私姿を見たら、精神と肉体が見事なまでに乖離しておりました。これってあの移動平均線の乖離ってやつ? 長期が短期を上から下に突き抜けての100パーセント乖離。いわゆる、ドン底です。旦那、今が買い時ですぜ、底を打った音がコツンとさっき響きましたぜ。私確かに聞きましたぜ。マ・マジすか。
朝5時頃に目を醒ますといい事が一つあるらしい。寝室での話。壮年Aの右横、1mの位置に使い古されたダブルベットが一つの大きな台のように存在する。その上にはいつもの二人。ここは妻と娘が毎夜仲良く横たわる地球上の決まった定位置、the Promised Land。朝5時頃、脳理学的には彼女らはきっと浅い睡眠に移行する。二人の寝顔がこの時間帯になると、ほころぶのだ。ニタッまでは行かないけれど、実に幸福そうな薄い笑顔での睡眠が起床の寸前まで続く。娘は例の片想いらしい他校の男子とのギリギリ会話を楽しんでいるのかもしれない。妻は何かに付け話題に出す例の他人の亭主の一物を拝んでいる最中かもしれない。OH! 壮年Aは早く目が醒めた朝にはだいたいこの現象に出くわす。ストーカーのようだけど気付かれないように観察しているとなんだか嬉しい。楽しいという感覚よりも、嬉しいに近い。変かも。
私は今日まで生きてみました、そして今私は思っています、50歳までとうとう生きちゃいましたと。これから先の、希望とか目標とか、そんなふうに呼ばれているものを持つスベを教えてください。って精神科医にオレンジ色の国民保険証片手に教えをこえば、きっと導いてくれるんだろうな、救ってくれるんだろうな・・・スーザンみたいに。でもそういうアメリカンな効率がAは恥ずかしい。誰に恥ずかしいって、自分に一番恥ずかしい。でも人間には生まれながらにして誰でも持っている治癒力があるらしいです。自然治癒に身を任せながら50代を生き抜く開き直りを少し持てると、Aの中から少しづづ、あんなに大切にしていたBMWのスピードとシルキーシックスが遠ざかって行っちゃう。どうしよう久保田さん。
     
地下鉄の手記
●地下鉄三昧1 (2004年5月14日) 
東京、その浅い地下を文字どおり西から東に疾走する東西線の中。キオスクでも売ってる世界的なチョコレートバー「SNICKERS」を隠しながらのひとかじり、月刊「エンジン」の特集SUVを読む女性の歳の頃は28とみた。小さな花模様が散る黒スカートの膝の上に載せているバックはどう見てもブランドではない。うーん。それからどうした。だからどうした。うーん別に。ただそれだけ、そんな1CUTシーンが東京の道路の下を走る地下鉄の中で本日あった、だけ。(SNICKERS中毒っているらしい。やめられない止まらないSNICKERS)
「SNICKERS」はあんまりかじらないけど、月刊「エンジン」は壮年Aもよく読んでいる。高齢の母を歯医者に連れて行くと、いつもその待合室にはちゃんと新刊がある。そこは家族でやってるような開業医なんだけど、察するに、院長先生が外車好きらしい。つめれば3台は収納できそうな大きなガレージハウスが駐車場に不自然にある。それには窓もなく、外からは一切中の様子が覗けないほど密封されていて、中にどんな車種が鎮座するのか想像するしかないのだが。暑い夏にはどうするのだろうか。
最近の壮年Aは、母を乗せた若干シャコタンぎみのBMW328をトロトロとその歯医者の駐車場に週一で入れるのだが、その駐車場の出入口の段差は必要以上に低く押さえられていて、エアロや車高調の車バリアフリーのようで、なんかガレージハウスの中は大変な事になっていそうで、しかも治療後に駐車場を出る時など、受付の奥にいたりする院長先生の差すような視線を窓ごしに一瞬浴びる時もあるし。その視線の中には、そうかおまえもか、というありきたりの連帯感の小さな欠片と、ドイツ車とは明らかに違う匂いのドラマチック印な本能に近い核と、気にしない記憶に残さないの醒めた命令に近い意志があるように思う。(フェラーリ2台か? もしかしてテスタロッサとポルシェ996? 家族で遠出のエリシオンと地球に優しいプリウスでした、なんて事だったら怒るよ、ホント)
壮年Aの生活には将来もきっとSUVはないけれど、月刊エンジンで特集するような高価なSUVのステアリングを地上から少し高い位置で回す彼女のSNICKERSで少し弛んだニノ腕を助手席から横目づかいで事務的に教官のように観察している彼女の空想の夫が壮年AにアメリカTVのCMのように横を向きながら放つ言葉があるとしたら、それはやっぱり「満足してるか〜い?」かな、「のってるか〜い?」かな、なんてアホ事を妄想していたら、彼女の駅が近づき彼女が席を立つ。その背中のTシャツに「Stare to the fuature!」とプリントされていた。最近の壮年Aに対する神からの啓示のような気がしてハッと我に帰った。
     
まったくの他人の家だけど
●首都高速三昧11 (2004年5月18日) 
妻と娘が女同士の秘密クラブを結成したかのように、居間で楽しくとっても閉鎖的にビデオ鑑賞。いつもの事ですが。やっと聞き出したビデオの題名は「死ぬまでにしたい10の事」。なかなか魅力的な題名なんで壮年Aもむりやり乱入。(ちなみに原題は、my life without me とのクレジット。こっちの方がいいのに)
ビデオ終盤での出来事、19歳で病気で死んでいく主役の若い母親が「夢なくして、どうやって生きていけばいいの・・・」と奇麗な英語で言いました。その時、Aの太った体を支える敗退ぎみの背骨に電流がビビビと、何年振りに流れたような、流れなかったような、うッ、実は流れたのです。てな具合に、今さらながら醜態さらして、何10年振りに気付いちゃったかな、壮年A。最近の彼には、夢や希望が単に無かっただけなんだと。夢さえあれば、60歳も70歳も生き抜けると。
船戸与一の小説の中によく出て来るような、雇傭兵みたいな普通の生活が出来ない社会からはみ出した男連中、普段は飲んだくれるばかりでヘロヘロ、街で人に殴られてもツバはかれても、やられるがまま、やられっぱなしの気が抜けたような泡の男ども。でもいざ男を駆り立てる仕事が近付くと、酒やめて、女捨てて、体作って、飛んで行って、そりゃあ強いのなんのって。そんな「やるときゃ、やるのね」状態に少しだけ美学感じて、太ったって、堕落したって、人に何言われたって、仕事でつまずいたって、博打で負けたって、立たなくたって、いつかはね、きっとね、って言ってたらもう恥もかけない50歳になってしもうたようなAの小声の告白。
まずいよね、これ、なんかね。てな乗りで、その夢を探しに今日も直6エンジン、スターーート、ドン。今夜は夢見つけるまで走るぞ、帰ってこねえぞ。そんな夜の首都高に落ちてる誰かが捨てたしがない夢を拾い集めて手のひらですくうと、金魚すくいの紙のようにタラタラと水に破れ、幸福手相と共にふちて行くAの両手首。ええ〜い、長期戦だ、なんてCDのボリューム上げて新木場を過ぎると夜空の東京湾に着陸態勢をとるボーイング747の点滅あり。We're approaching the landing attitude. Roger. ピー、なんて言ってるんだろうなー、きっと。
今日のキャプテンの完璧なランディングには頭が下がりました、私も10年後には先輩のようなキャプテンになれたらなんて・・・(若い副操縦士)、そうかね、でも君にもきっとなれるよ、俺がなれたんだからね・・・(キャプテン)、そ、そうすかね(若い副操縦士)、そうだよ、どうだ今夜は久しぶりに一杯(キャプテン)、はいお供します(若い副操縦士)・・・こんな上下の定石会話、いつまでも制服脱がないでしててみろ、おまえら。きっと憧れちゃうぞ。なんてバカばかり書いて毎夜FTPしてる場合じゃないんだけどね、ホント。でもセッパつまって変な夢、見つけて来ないでくださいね、壮年A。
     
マクドナルド好きで何がわるい
●街道三昧2 (2004年5月30日) 
私の体はもうボロボロ、昨日もK病院の斉藤先生から余命半年って宣告されちゃってさー・・・肩を落としてボソボソとあちこちで言いふらす。そんなオバチャンが近所にいたりする。15年前から同じ事を言い続けて、不思議な事に未だにピンピンしている小太りのオバチャン。肌の艶、血色もいいし、いつ見ても栄養状態も良く見えるし、咳き込んだり立ち止まってスーハー言ってる姿を今だかつて見た事がない。前なんか早稲田通り沿いの立ち飲み酒屋で夫婦でスルメ片手にマス酒かっ込んでいたの目撃したし。
そのオバチャンが初夏の微風の中、鼻歌まじりに我がBMWを自転車で健康そうに追い越していく。両膝を左右に開き、きっとその下に存在するであろうサドルがそのでかいケツに埋没して自転車が非常にかわいそう。サドルに生まれなくてマジよかった。後ろから見ると典型的な太ったオヤジだ。でも、ここで "でも" と言うのも変だけど、でも、彼女は料理が早くて上手い。それも恐ろしく旨い。
日曜日の夕方なんかに、早稲田通りや新青梅街道の隅に30分も駐車していると必ず知っている誰かがフロントガラスの前を通過して行く。でも、ほとんど車内の壮年Aには気付かないで。気付かない理由は色々あるけど、一番の理由は、彼等のほとんどが車などに興味がないからだ。どんな色でどんな形の車に誰が乗ろうと大して気にならない人達だから。
ここ数年、長くて3年、早くて半年で車を変えてきた壮年Aにとってはちょっと寂しい気にもなるけれど、車に関心がないこの街の人達の中で暮らし始めて15年以上が過ぎた。そういえば身近な妻子もそうで、前から欲しかったイタリア製のホイールを内緒で半年クレジットで装着しても、まず1ヶ月は気付かない。万が一、デザインの変化に気付いてその浪費を問い詰められても、タイヤ変えたらオマケでホイール付いて来た、でマジ済んでしまう家族。サス変えて車高が3cm位落ちようが、もちろん誰一人気付かない環境。
真夏を感じさせる本日夕方の空を、サンルーフとフロントガラスから小1時間眺めていた。早稲田通りの三菱自動車のショーウィンドーの前に駐車して。強風で雲の流れが速く、夕焼けの淡いオレンジもそう長くは続かない。
展示してある白いボティーカラーに黒い羽を付けた魅力的なランエボと壮年Aの視線の間をオバチャンがサドル隠して帰って来る。ウィンドー下ろして、体、大丈夫なのもう? と聞くAに、今日もタラタラと肝臓の不調を訴えるオバチャン。別れ際に、あんたもいい歳こえて暴走族してんじゃないよ、とのご忠告。深夜に数回、早稲田通りから環八に向かってカッとんで行く壮年Aの話題が彼女の自慢の食卓に出たそうな。彼女の息子は壮年Aの娘の元同級生。彼女の従兄弟と壮年Aも大昔の元同級生。狭い地域のたわいもない一片の初夏の風のように忘れ去る出来事。新しいランエボに一瞥。
     
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