大井競馬と川崎競馬への花道・1本線、深夜の首都高1号線
●自宅三昧2 (2004年8月15日) 
娘は塾の夏期講習からやっと帰宅してリビングなんて恥ずかしくて言えそうもない一応のリビングでマンガを読みふけっていて、妻のいつもの斎藤哲夫の鼻歌がキッチンなんて恥ずかしくて言えそうもない一応のキッチンから聞こえてきて、壮年Aは娘の部屋の古いソファーを借りてボーと静止状態で外の気配を眺めていて、今日の東京はいきなりの10月の気温で涼しくて、隣の枯れかけたトマト畑ではコオロギが既に鳴き始めている。夜が訪れた黒い空には案の定の月が浮かんでいて、あそこに月が浮かんでいるという毎日見なれた引力の事実だけでも充分過ぎる程の不思議。
方程式のようにエックスで何乗にもくくれるような複雑そうでいて案外の反復生活が何10年と続きましたね、と、身近な女性に話すと、彼女と自宅近くのビデオ屋に寄り、川辺の遊歩道を競歩健康夫婦の邪魔にならないようにたどり、公園の鳩と小さな噴水と鯉の池の前のベンチに座り、その帰りに西友の前のドトールでラテをすすりながら、老人ホームにいて昨日から具合の悪い母と、自分達の20年後の老後の希望と、娘の夢の高校進学の話題たちズラリ。身近な女性とはもちろん妻だけど、こんな一応の散歩と会話はたぶん数年振りのことでしょう。
「大きく分けてそれには2通りの意味があります・・・」なんて大勢の前で自分のロジックをひけらかして明晰の高さを印象づけるようなミーティング会話だけは妻の前ではすまいと心に誓うまでもないし、夏のスポラディックE層が叶えるロマンティックな蜃気楼のような現象や、セシルテイラーの爆音の中に散乱する小規模のメロディーの破片や、シフトJISの宿命のような16bit文字コードとPerlの特殊な干渉のいたずら、なんてAがもっとも興味をもって得意とする視野・分野を妻とのコミュニケーションに共有するつもりも全くもってありませんから、と口に出すまでもない。
ビデオ屋から妻が借りた「バイブレーション」という日本映画を見ながら食事をして、「誰も知らない」という自宅付近がロケで使われたあの大賞映画を見て来た妻と娘の感動話しを軽い「リアリー?」と共に聞いて、ふと時計を見たら結構な時間で、これじゃBMW夜行にも出れないし、と焼酎に氷をいれて舐めはじめると、ほら、どこか近所のテレビから漏れて来るかすかなアテネ・オリンピックの歓喜の声。連覇の快挙に世界新。ほらほら、思ったよりも強いよね日本。
不満なんてない。でも少しでも、何かを変えなければいけない予感がするだけ。
     
栃木の光
●北関東自動車道三昧1 (2004年8月20日) 
真夏の北関東自動車道は、真夏の栃木県に走っていました。焼けるような暑さとは、まさにこういう状況かもしれない、と確信する程に外気が上昇し、クーラーは限界を越えて効かないようだし。卵焼きなんてかるいかるい、そこらの河原でボンネットで焼き肉鉄板やってる人いるんじゃないかしら。
太陽系、太陽を中心に公転する地球を想像。地軸がほんの少し傾いただけで生じる春夏秋冬なんだから、たぶん太陽と地球の距離を100,000(10万よ)としたら、地球の公転がほんの少し(1だけ)太陽に近付いたら、全人類は熱で蒸発してしまうだろうし、地球がほんの少し(1だけ)太陽から遠ざかったら、全人類は即座に凍りついてしまうだろう。それ程の微妙な距離を保って地球は存在し、人類は奇跡のように、誰かに仕組まれたかのように生き延びている公理に近い事実。たぶんね。
生まれて初めて滑走する北関東自動車道上で、室内ミラーに写る太陽をサングラスを通してチラチラ垣間みていたら運転がおかしくなった。左に寄せてハザード出して路上に立つと、真夏の田園栃木ありき。その上には核融合イケイケの太陽がいる。こいつのおかげで生きてられる、と思うのも自由だし、こいつのおかげで生かされている、と感じるのも自由。とんでもない量の光の粒子が栃木に降り注ぎ、体を貫き、物体に反射して拡散する様子をしかと目撃。
きっと、気が遠くなるような時間が過去にあって、もっともっと想像を越えた気が遠くなるような時間も未来に経て、その先にやっとの事で太陽は枯れるのでしょうけれど、でもねえ、そこまで絶対的にならなくてもねえ。太陽が無くなれば、それなりに諦めもつくし、誰のせいでもない訳だし。なんて事を放言すると大宇宙は太陽神のバチが当たりそうで、おもわず太陽礼拝のポーズ。
宇都宮での仕事の打ち合わせ。車で出かけた壮年Aの心情は、太陽から惜しみも無く放射される究極電磁波にバックで犯され、可能な限りの抵抗を示すも、結局はその権力に屈服するだけのしがない哀れ完熟トマトのような、なんとなく不可解なものとなったのでした。そういやこの世の中、太陽がなければ成り立たないものばかりだし、まずは太陽ありき、な世界だったんだし。とりあえずあれ以上のエネルギーは無い訳で、しかも光以上に速く動く何かは無い事になっているんだから、しょうがねえか。
     
A bolt out of the blue
●カレーライス三昧1 (2004年8月24日) 
「カレーライス」か「ライスカレー」かは昔からの永遠のテーマ。今夜も悩めるテーマを胸に抱きつつ、ごくごくシンプルなビーフカレーを求めて平和な家族がファミレスへといつもの車を出す。いつもカレーなんて頼むのは壮年Aだけで、今宵の妻と娘はハンバーグにスパゲッティー。おかわり自由のドリンクバーを3つ頼んで、今日は特別にシーザーズサラダも迷った末にオーダーしちゃいました。店内に貴重に鎮座するドリンクバー。3杯目のグラスを片手に、どっかのガキと一緒に行儀良く並ぶ壮年Aの姿がステンレスに写る。この年齢差40年で何がどう変化したのかは大問題? それともそんな事はどうでもいい事?
たかがカレーライスなんで偉そうなウンチクなんて持ってない。でもですね、よくスプーンでかき混ぜて食べている人いるでしょ。あれはちょっと賛成出来ません。ソースをかける人、これは全然問題ありません。でもグチャグチャにオジヤみたいにして食べるのはよくありません。カレーライスの醍醐味は、白いご飯の上にかかる溶岩のようなカレールーの瀬戸際・攻め際をスプーンですくって食す。これにつきる。ご飯は当然少し固め、なんてね。バカみたい。
牛丼チェーン店「松屋」に数ヶ月前からお目見えした「ココナッツカレー」。壮年Aはここの所これにハマっていたらしい。少し薄めの茶褐色のルーの上に白いココナッツの流体がフラフラとかかり、ほんの少しトロピカーンな雰囲気あり、なんですが。昼時、サラリーマンで混み混みの高イス・カウンターで肩をこずき合いながら急いで食べる。おまけに自販機で食券を買ってから空いている席をめざとく確保して滑り込まなければならない。でも、文句があるなら高い店に行けばいいだけの話しかな。
関越自動車道を上がってすぐの「三芳SA」。ここの食堂に登場した「お母さんのカレー」にも少しハマっているかも。ドロドロした固めのルーの中に、昔のお母さんが家庭で作るような具がゴロゴロ入る実質主義的カレーだ。このサービスエリアの食堂で極上の夕焼けを見ながら食す具沢山カレーと冷水。競馬新聞「一馬」とのコンビーネーションは特に抜群で、壮年Aのこの夏の生きるカテ。
そういや、いつも通る街道沿いには、名のあるカレー店が結構ある。インドやカトマンズ風のグラフィカルな店もあれば、コテコテ日本人店主のオリジナルカレーにこだわり続ける店も。よくいるラーメン・グルメ行列人のようにガイドブック片手にカレーの食べ歩きも少しは老後の楽しみに、なんて思って見るのも何やら無理な老後の過剰演出のような気もするし。
ファミレスから楊枝片手にシーシー言いながら家族3人で駐車場に出ると、既にかなりの秋風が流れている。煌煌と家族が灯るファミレス店内を背に受けて、長〜い3つの人影が愛車の脇まで延びている。夏の終焉が近付き、次は冬を目指す作業を強いられる水面下の強制労働者のような感触が風に乗っている。車のドアを閉めてギアをドライブにいれると、お気に入りの白いユニクロのシャツにカレーのシミが2つ付いていた。一つは1cm弱の直径がある。そっと水で濡らしたティッシュで拭き取るも完全には落ちない。もうすぐ秋の窓ガラスに写る壮年Aは、やっぱりカレーライスって言うほうが普通だろう、なんて顔をしている。
     
この位が一番好き
●街道三昧3 (2004年8月29日) 
失楽園のごとく、お互いを信じてイッセのセで心中でもしない限り、最期の瞬間はどうせ一人だ。旅立つベットの横で誰が何人見守ろうと、逝くのは自分一人だけだし、後にも先にも、生まれた時と同じく、死ぬのも生涯1回だけの出来事。だいたいが狭い病室の真ん中辺りにベットが置かれ、息が途絶える前と後の境界線をピークにして、取り巻く親近者達の態度や言葉のテンションが変化する。こんなありきたりのテレビドラマのような環境下で終わるのだから、せめて生きている間は好きに振舞わなけりゃソンソン、というのが大方の正論かな。
やりたい事をやって、欲しいものを手に入れて、私は最上の人生を送ってきました、悔いなんて全然ありませんがな、もう充分でっせ。と捨て台詞を残したくて、壮年Aはせっせこ毎日をああだこうだと選択しつつ生きている感じがする。逆算する時間を念頭において、今欲しいものは今手に入れる刹那を意識しながらの毎日のような気がするんだな、最近これが。ちょっと寂しいような気がするけれど、でも時間が有限でなかったらもっと寂しい結果に終わるような気もするし。かといって、生きる事を終わらす為に生きているような気がする時はもっともっと寂しいし。結局どう転んでも、寂しいだけじゃん、おまえは。なんてね。
そんなこんなを頭の隅にチラチラさせながら今宵も環八をフラついていると、何やら不可思議な音源が背後から迫って来て、Aを簡単に追い越して行く。何に追い越されたのか一瞬判断しかねた。水道管のようなパイプが2本テイルからはみ出し、何かの機械の固まりである事は間違いない。よーく見ると50cm幅もありそうなグリップタイヤを転がしてコンクリートの上をゴトゴト上下に跳ねてかっ飛んで行く。(例えば500/30 ZR20なんてサイズのタイヤ、実際あるのかな?) 2秒後には本当にワープしたように車線を変え、100m先に瞬間移動していた。動きが他と全く異質。ありゃ未確認飛行物体に近い。車種は不詳だが、あれはまさしく黄色いフェラーリ。縦列に先行する運賃210円也の赤い関東バスの巨体2台を軽くかわして前に踊り出るさまは華のレーシングマシンそのものだ。
生まれながらにしてフェラーリで爆走出来る幸運の人なのか、何かで成り上がった人なのかは知らないけれど、2km程先の路肩にフェラーリは止まり、ドライバーはボンネットの脇で旨そうに喫煙していた。なるほどの平井堅みたいな風貌が近付いて来る。穴のあく程の直視か、完璧に無視か。壮年Aの判断は少々乱れ、横目つかいに流れるように側を通り抜ける。目線が合った瞬間、彼はまさかのウインク。「彼と死にたい」なんてこの歳で直感しちゃったらどうしましょうかと焦った。よかった。
     
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