氷川丸、撃沈
●2004年09月22日 
最近の壮年Aは何やら吉原に通い詰めという噂。これはどうやら本当らしい。午前11時を過ぎる頃、事務所の鏡に映るAの顔はなんとなくソワソワし始める。時計が正午をピンポ〜ン(は今どきないけど)と告げる頃、「ちょっと打ち合わせ、いてこましね〜」と足取りも軽く事務所をあとにする。電柱の陰と新聞紙とサングラスに身を隠してその後を注意深く尾行すると秋葉原で乗換え、いそいそと上野方面へ。上野駅を浅草口あたりで降りるとそこには既に新型のクラウンが一台横付けされている。黒スーツのお兄さんに後部ドアを丁重に閉めて頂き通行人の流し目の中、トヨタの静かなV6エンジンは音も無くスタート。滑らかなATが1速に入る頃、もうそこは華の吉原・別世界だ。
「いらっしゃいませ」の歓迎の中、明らかに一見の客ではない匂いをそこはかとなく漂わせ、勝手知ったる豪華待合室へ。良く冷えた濃厚なアイスコーヒーを氷の擦れた音に楽しみ、大型液晶テレビで西田敏行のゲロッパ (何でこれ?)をラグジュアリーにホホつえ付いて堪能する事あっという間の5分。店長じきじきの「それでは用意が整ったようですので」の一言に「ウム」とか同意ともいえる軽音を喉奥で発し、いよいよ店内奥の狭いエレベーターへと向かう。ウフフ。
3Fでエレベーターはガチャンと止まり、お口爽やかミント味をすばやく1粒処方。本日は2号室のベルをおもむろに鳴らす。ピンポ〜ン。カチャと薄く欧風ドアが開き、室内からは今日も愛らしい「いらっしゃいませ」の声が。って仕事じゃなきゃなぁ〜。でもここはコース8万円の高級店だ。壮年Aの収入では入りたくても入れない禁断の果実、高値の華、絵に描いた餅だ?。要するにお仕事で来ているのです。
壮年Aのお仕事はインターネット関連。HPを持ちたいソープ嬢からお声がかかりこうしてここの所、日々通い詰めているというお話し。最近の彼女達の仕事のスタイルは昔とはちょっと違う。以前のように店の主導や制約で動かない。個人事業者としての彼女達にとって店は単なる場所の提供者だ。そしてそんな姫達の今の関心事はネットでの営業。メールマガジンやBBSを利用して芸能人のアイドルのような営業活動を展開している。サラリーマンが会社でブラウズしてもバレないように、TOPページ以下をポータルサイトのようなデザインにする女子もいるのだ。
今日のB子さんはコース8万円の高級店の中でも超が付く程の売れっ子。ここ吉原でも上級クラスなのだ。仕事部屋も専用だし、待機部屋も彼女専用のものを店がちゃんと用意してくれている。今日はちょっとした都合で彼女の仕事部屋での打ち合わせとなった。なんとなく濡れているタイル張りの床の上にフカフカのタオルを2枚引いてくれた。その上であぐらをかいて名刺を交換。いきなり「HPのデザインはどんなものをご希望ですか? 色味は?」って明らかに場違いな雰囲気。しかも密室だし、想像力をかき立てる色々な道具も目に入る。
彼女達の趣向の好き嫌いはいつもはっきりしている。だからデザインやレイアウトの希望も指示も明確でとてもやりやすい。頭の中に描く抽象的なイメージを他人にキチンと伝えるのに何故か慣れている人が多い。通常の打ち合わせのように、なんとなくお任せします、がないのだ。
B子さんは職業柄か、壮年Aの事を先生と呼んでくる。生まれてこの方自慢じゃないけど先生と呼ばれて振り返った経験がないので名前で呼んでくれと頼むも、直ぐに先生に戻ってしまう。打ち合わせが佳境に入るとワインレッドのガウンドレスのような仕事着の狭間から何やらふくよかしい色や形がどうしても目に入る。危ねえ危ねえ、酸いも甘いも噛み締めたはずの50を過ぎた先生の前が大きく膨らんじゃったらどうしようとチンケな平常心を引き締めるもどうも仕事がウワのソラソラソラ〜。
打ち合わせも何とか醜態さらさずに終了。父親のような歳のオヤジに気を使ってくれて、ご趣味は? とくるので、車です。とくれば来たぞ定石の質問が。何に乗ってらっしゃるの? ビーエムす、中古ナンスけど(は余計)。B子さんは車は好きなんですか? すかさず切り返すと、私も結構好きかも、と言いながら色々と話が弾む。仕事以外の話題になると途端に同世代の女子口調に戻る。どうもイタ車が好みのようだが、どんな車に乗っているかはついに教えてくれない。たぶん壮年Aの数10倍は稼ぐんだろうからどんな車でも衝動的に買えるはずだ。
吉原はやはり普通ではない街である。普通の住宅街と道1本隔てただけの日本固有の売春専門ブロックだ。B子さんが壮年Aを見送りに極端に狭い廊下まで裸足で出て来てくれる。小さなエレベーターの小さなドアが最後のお互いの目線を遮る瞬間、虚像と現実の境が浮かんでは消える。店の周辺の駐車場にはメルセデスのSクラスが氾濫していた。
     
矢印の向こうに何があるっていうの?
●2004年09月26日 
毎度の事だけど、時間と場所の概念って考えれば考える程、不思議だよな〜。例えば、壮年Aが車で移動すると、時と場所が変わる。これって生まれた時からある当たり前の公理の現象。しかも移動と時を同じくして、移動している周辺はもちろん、世界中・宇宙全体の全ての最小セクタで別々の変化が時系列に起こっている。Flashなんかでタイムラインエディター使った事のある人は、そう、あんな感じに近い。左のレイヤー数が縦に無限にあって、フレームをマウスで移動すると全てのレイヤーがなぞられて現実が作られる感じだ。
もちろん、Aの移動があってもなくても、A以外の全変化は確実に起こる。最小セクタ自体どうしの干渉はないが、最小セクタ上での変化はセクタからセクタへ波及し移動し干渉もする。一つの大きな変化が多数のセクタ上で起こり、それがもっともっと増殖して数km単位に及ぶ大変化となる事もある。どうも頭悪くて、うまく言えませんけど。
関越高速道を鶴ヶ島インターで降りて、407号線から高萩の交差点を右折して、不夜城・埼玉医大方面にクネクネ田舎道に逸れると壮年Aお気に入りの寂れた野球グランドがある。たぶん村営か町営の草野球場だ。近くには川が流れていて平日ちょいと寄ろうものなら、聖域のような心洗われるありがたい場所。大人の野球が2試合同時に出来る敷地にもう一つ子供用の小さなグランドが隣接する。広大な敷地の隅のベンチなんぞにのけぞって座り、芝生と青空の色味を売れてるデザイナー気取りで楽しんでいると、あっという間に時は経ち足の先から頭の天辺まで癒されていく、知りすぎて逆に愛おしい誰にも言えない秘密の恥部のような場所です。
グランドの周りには、桜の木が沢山植えられていて春満開はさぞかし凄い事になりそうだが、近くの1本の桜の木に先程から注目している。よ〜く目を凝らして観察すると太い幹の皮表を上下に流れる筋のようなものを発見。50cm位まで顔を近づけてみる。アリだ。蟻という漢字があんまり好きじゃないのでカタカナでアリ。
体長2〜3mm程の小さな何百のアリ達が大きな桜の木の天地を往復激走している。片道6車線あるアメリカのハイウェイを高台から他人事のように眺める勝手な感覚、感情なくひたすら機能として流れている感じだ。しかも道路は立木の皮表だから想像を絶するデコボコだし、なによりも引力に対して垂直の道だもんな。人間どもが常用する速度に換算するとたぶん時速80kmは出ていそうだけど、彼らは決して接触しないし、車線変更もチョロいし、道に迷わないし、Uターンしないし、壮年Aが愛する関東バスの運転手のように、西武バスには決してしないくせに同じ関東バスの赤い仲間とすれ違う時だけには妙に親しみを込めて右手を上げるようなあからさまなHな仕草は絶対にしない。
ふと気がついて、隣の桜の木にも行ってみる。観察するまでもなくこの木でも同じようにアリ達が一生の大半をかけて太い幹の皮表を上下に移動している。その隣の木でも、またその隣の木でも。おそらくこのグランドにある全ての木、いや、日本中、世界中の木々で今現在、同時進行形で同じような事が全てのアリ帝国によって行われ営まれているのだ。
(10月2日の日記へ続く)
     
第三京浜・保土ヶ谷PA with ジョージア(ジョージアじゃダメかしらね?)
●2004年09月29日 
深夜、といってもまだ12時少し前。車の音もしない雨上がりの静夜。2匹のコオロギが窓の近くで鳴いている。規則正しい反復の快音。おまえら、もしかしてミニマル? ふと気がつくと不覚にも30分ばかし聞き惚れてしまった壮年A。これって初老の兆候ついにアラワル? でもね、ケージ先生やライヒ先生だってこんなに巧く繰り返さないでしょう、と思うと、な〜んだ、案外、アートは近くにあったんだ、なんて事をほざいている。
早めに帰宅してリラックスする時間を少し作って、軽〜く水割りグラスなんぞを片手に持って、ひたすら秋虫たちの音色に耳を傾ける事が妙に愉しみになっちゃって、しかもそれがまさかの贅沢な時間になってしまって、ああこれが若い頃想像した華麗な加齢というものなのかしら、と、ふと白い壁を見つめて理由もなく泣いたりしてさ。(さすがに涙は出ない嘘泣き)
この水割りだって、別に最近はウーロン茶でも、お〜いお茶でもよくて。若い頃は、バーボンだスコッチだモルトだなんて新宿界隈のカフェバーうろちょろして、今思えばバカみたいな時間を費やしたものです。たかが酒を選択する事がそんなに楽しかったなんて。コオロギ肴に(といってもコオロギ食べてる訳じゃないから鳴き声だから)今飲んでいる酒は日本産、たまたまのサントリーの角スッ。今はあのホッペボツボツのホテイの兄ちゃんCM、10年前は井上陽水のCMだったか。そういや、20年前に死んだ父も愛飲してた角。しかし体に悪いし、今晩は軽く水割り2杯だけ。そっとしておいてね私を、なんてコオロギに向かって言ってどうすんだ。
まあ、そんな事はどうでもいいんだけれど、壮年Aは最近思うらしい。彼の車はBMW。昔に比べればそりゃ六本木のカローラでブランドの価値下がっているかもしれないけれど、やはり腐ってもBMW。別に金に余裕かましてる訳では全くありません。50男が好きで中古で、しかもローンでカツカツ目一杯で乗ってる車。こんなんが建ぺい率も目一杯、区議会議員の大先生のお口ききで5%位チョンボして建てた狭い敷地の、これまた狭い駐車場にギリギリ止めてある訳ですよ。遠目に芝生もなければ名犬ラッシーもいなけれゃ、楓や松の木一本あるわけじゃなし、まして鯉や池や離れの茶室、日本庭園必須の何ていうのあれ? 水の重みでシーソーする竹でできた時々ポンって石を叩く音がするアレ、こんなんある訳ない猫のひたいですから。
6畳一間のアパートでグッチやシャネルっていうんですか? 良く知らないブランドの世界、この辺持って歩いてる若いお姉さんと変わりないのです。一点豪華主義、ブランド至上主義でももちろんいいんだけど、A宅の坂の上にある由緒しょってるお屋敷のように、広い敷地に有り余る駐車場。家も車もこんな背景があっての存在のような気がします。特にBMWとかメルセデスとかアウディって。じゃあ、KやカローラやミニバンだったらOKで、スカイラインだったらもうダメな訳? Aの生活レベルではどこまでが合格ラインなの? っていう話しにもなりますが、まあね。
じゃあ、BM売れば。そして身分相応の身の丈車にしたらいいじゃないのよ、っていう簡単なソリューションなんですが、でももしかしてこういうブランド指向や飽くなき物欲、良く言うと車の価値の追求って、貧弱で怠慢な内なる精神を隠し補う為の、我身が本能的に発する外面的な飾りへの要求、カモフラージュに近いかも、と思ったりもするのです。もしそうだとしたら、手放したらバレちゃうじゃないの、浅い精神が。と浅い精神でおののく私もいたりする、深夜。
     
路上フェチの記憶 [4]
●2004年10月02日 
(09月26日の日記より続く)
先生 : そんな事言ったら、きりがないでしょ、あなた。今現在も、アフリカのどっかできっとライオンはシマウマを襲っているわけだし、カナダのカエルは蛇に飲まれている頃だし(ホントかよ)、九州のツクツクボーシは短い一生を終わらせているかもしれないでしょ。全人類だって生きている以上は、世界中の道路やレストランや寝室やデレビの前あたりでみんなSEXや食事をしているわけだし。全世界の森の中や曲がり角で起きる現象をすべて掌握する時間は人生にはないし、ましてそんな膨大な情報を時系列に貯めておく事だって所詮無理なんだから。でしょ、でしょ(勝ち誇ったように)。
これは壮年Aが中学生にタイムバックして、理科の先生に質問し、質問に対する先生の答えだ。ではどんな質問をしたかと言うと。
中学生 : 先生、ちょっと教えて下さいまし。こんな状況(前々回の日記の桜の木のアリ)に遭遇してしまった時、僕は心の中でどう扱っていいのかよく分からなくなります。つまり何ていうか、このような、あちこちにある現象をちゃんと見つつ想像しながら、平行して自分自身の人生も楽しみたいのですが。
要するに、中学生は全ての時間と場所を知りたい欲張り屋なのだ。誰もいない飛行場のようなセンチメンタルな敷地の隅の雑木林の中で遭遇した一匹のアリの行動を一人で追い続けるような小さな狂喜がたくさん欲しいのだ。
中学生 : そんな事は僕でもほんとうは知っているのに。全ての事を知りたくても知る事なんか出来やしない事くらい。おそらくどんなに記憶メディアの保存容量が増えても全てを見る方法はない。となると、何か(もしくは、どれか)だけを好きになって無心に集中した方がこれから先の人生は効率的で幸せになれるのかもしれない。世界中のアリ帝国を見て歩く、ついでにその周辺も見て歩く、そのまたついでに宇宙の彼方についても想像してみる。こんな事は全くもってナ〜ンセンスなのかもしれない。桜の木のアリのようによそ見をせずに、そうだ、校長先生が大好きな教訓のようなあの言葉、光あるうちに光の中を、前だけを見つめて、僕の役割を演じていけばいいのかもいれない。そして、少なくてもこんな風に考える事はとても自然に見えるし、大人の人はみんなこんな風に心の中で処理しているのだ。
でも、こんな風に僕が考えると逆に先生は少し焦るかもしれない。僕のような無垢な中学生が持つ未知の可能性と、大学の教職課程で教わった大義名分と、職員室の教頭先生の意味ありげな目線と、駅前お受験の現実と、先生の夢、大きな北欧風の出窓のあるツーバイフォーと、その芝生の庭に止まる予定のキャデラックやメルセデスの狭間で、きっと焦るかもしれない。
壮年Aは実娘を前にして思う。上記のような輪切り無論理を娘の前で考え、叶うならこの霞のような価値観を託したいと思った。妻は毎週の何だか怪しい中国語教室で遅い。進学塾・ENAの前で中学3年生の娘と待ち合わせ。牛角のチョレギサラダと石焼ビビンバをつついた後に、どうすりゃいいのかしらね、と後部座席の娘に不肖の父は今夜もまた尋ねる。僕たちはちゃんと正座して前を見つめて地球の時間に参加しているんだし、お受験という制度の中で、せっかく大事にして来たものが目の前から一瞬にして気化するような気分になるのは不条理というより不服だ。「パパ、何言ってるんか分からないんスけど」
祝!イチロー
     
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