路上フェチの方針 [1]
●2004年10月06日 
Bさんはそれの持つ不確実性を奇想天外な推理小説よりずっと面白いと言う。これってもしかしてヘミングウェーの言葉のようだ。Cさんは予想という行為は自分の選択を正当化する作業だとそれについて分析する。これももしかして寺山修二の言葉? 壮年Aは根っからのギャンブル好きだとはちょっと告白しずらいので、根っからの金儲け好き男、という立場を昔からずっと貫いている。
アルコールがおじさん3人の体内を流れると血圧も負荷に比例して上昇し、コミュニケーションはいつも2次方程式的に増幅され、ついには発信領域手前に達する頃、誰からともなく自然発生的にネガティブフィードバックがかかる安定動作を繰り返している。これって増幅の大切な基礎でしょ。つまり、おじさん3人はいつもあえて基礎的に飲んでいるのだ、理由は壊れない為に。おじさん3人はやっぱり真空管の人たち。いってもトランジスタ、せいぜいがFET止まりなのである。競馬場という修羅場からの帰り道に立ち寄るいつもの居酒屋での事。
BさんとCさんは壮年Aに競馬を初めて教えてくれた人。それはネットもパソコンもマークシートもない遥か昔の不便な時代。でも何か郷愁めいたものがある懐かしい時だったんですね。なんせレースが既に発走して1コーナーにかかる手前なんていう、今だったら言語道断、システムコンピューターに無慈悲にシャットダウンをくらうタイミングでも懇願・悲願・切望の三色顔で駆け込めば、本当はいけないのよ私クビよ、なんて言いながら手ばやく馬券を発券してくれる優しいおばちゃんがいたりしたのだ。
そんな時代に知り合ったBさんCさんはどちらもグラフィックのデザイナー。20歳の頃からこの混沌とした地味な世界に入り、30年以上もの間、あらゆる紙の販促物を斬新な色と形で支える立派な仕事をしておられる。もちろんまだまだ現役。どういう訳か二人とも独身で、車は所有せずのペーパードライバー。いつもドイツ車は金ばかりかかってつまらんとか、フランス車はデザインが陳腐すぎるとか言っているくせに。
そんな彼らを後部座席に乗せて3人は今、悶々になって川崎競馬場へと一路向かう。室内ミラーにチョロチョロ写る二人の顔つきが真顔になっていく。両者共に背丈が180cm以上あるので我が車内のヘッドクリアランスがかなり気になるがそんな事にはおかまいなく、たぶん妄想に限りなき近い本日の夢と希望は数時間前から確実に3人の脳裏をむしばみ、孤独で寡黙な作業へと各自を強いて離さないでいる。(まあ色鉛筆片手にウムウム言ってるだけですが) けれど、不確実性を楽しむはずのBさんは意外にも9Rの確実性を訴え、いつも予想の正当化に時間をかけ過ぎる傾向にあるCさんはあっさりと9Rの結論を出す。ちなみに両者の予想に重複する馬が一頭だけいた。
注目の9Rが近づき壮年Aはいつもの気分を味わう。一生分の金をこのレースに費やしてしまいたい。ト・飛・び・た・い。危ない衝動を押さえながら数枚のマークシートを機械に入れる。今回はあえてBさんとCさんの予想は参考にしなかった。(というよりハッキリ言って当たらない、あいつら) 壮年Aは予想紙すらあまり買わないタイプなのだ。かっこ付けてバドックは気にするけど紙面の馬柱に目を凝らすなんて事はほとんどしない、競馬を熱く語れない面白くないタイプなのだ。
帰途の車中は予測したように明暗を分けた。厚くなった財布が入った黒いかばんを大事に膝の上に置くBさんの勝ち。Cさんと運転中の壮年Aの心中には少々のリアリズムがまた一層分沈殿した感じだ。運転をする壮年Aに気を遣い今夜は軽い食事を取る事に。
早稲田近辺のタイ料理屋のプレートをつつきながら、Cさんが車を買いたいと突然言い出す。50を過ぎての初めての車。何を買ったらいいか迷っているらしい。なんせ独身だから2シーターでも何でもOKだそうだ。Bさんは運転なんてしないくせにスポーツカーの非日常をしきりに解いている。壮年Aは何も言わなかった。後部座席に古い友人二人を乗せて走るあのなんとなく至福なドライブと、Cさんの新しい車の後部座席にBさんと一緒に自分が乗る未経験ながらラクチンそうなドライブと、どっちがどう社会的に美しい形に収まるかなんて比較愚考していた。まあ、とどのつまりは車ではなく乗る人なんだけど。彼ら3人、害がある訳じゃなしね。
     
光束なんかに癒されてたまるか
●2004年10月10日 
「君はBMWのどこが好きだい?」母が老人ホームでお世話になっている方からのご質問。だからそうそう邪険には出来ない。壮年Aにとって週末は老人ホームにいる母に会いに行く日だ。いつもの駐車場に入れてドアを閉めると背後から人が近づいて来るのがウィンドウに写る。いつものあの方である。しかたがない、大男に後ろからはがいジメにされた少女のように観念した感情が湧く。でも一応聞こえなかったように、エクスキューズミー? (もちろん、はい? と日本語で言いますが)
「君はBMWが好きなんだろ? BMWのどこが好きだい?」おいおい、あなたが作ったんですかBMWって? ともう少しで口から出そうになる台詞を飲み込む。この方には、息子さんが3人いらっしゃる。3人共に立派なお医者様。そして何の因果か3人共にBMWをお持ちなのだ。その事は老人ホームの関係者なら誰でも知っている。当然壮年Aも知っている。ただ、真ん中のお子様のBMWが壮年AのBMWと全く同じだという事実にはほとんどの人が気づいていない。タイプも色もグレードもタイヤのミシュランも左ハンドルも、なんとノーマルから変えたショックのザックスの型番まで同じなのだ。違うのはホイールだけ。これじゃ、だいたいの人は分からない。
老人ホームの駐車場に止めれば、あらあの方の息子さん(当然お医者様のほう)がいらしてるんだわ・・・と若いヘルパーさん達の優しい眼球の中に、一瞬鋭く燃え盛る異性への熱が闇夜に光る広告塔に書かれたLOVEという薄く儚いヘルベチカライトのように浮かび上がる気が。おもむろにAなんかが近づくと、怪しい男が息子さんの大事な車にイタズラしている、なんて目つきで近寄って来てAのアイデンティティーをそれとなく観察、あげくは立証を求めるような態度に出る事があったりする。
でも、そうだよな〜、30歳ちょいで独身の医師、しかも長身でまあまあのルックスで、一家はこの辺の名士揃いで、しかもテニスラケットとコンドームなんかは車にたぶん常備だもんな〜。収入も当然いいだろから、美味しいもの食べれるし、Hもそこそこ時間かけそうだし、万がいち痛くて出血しても医師だからすぐに直してもらえるし、もしかして麻薬も手に入るしで・・・。そりゃ若い女性だったらだいたい狙うだろうな〜。 50過ぎて早朝勃起無し(欄外注1)の壮年Aとは月とスッポン、アワビとシジミだよな〜。(シジミ好きですが)
そんなこんなで母の部屋を出て駐車場に出ると、そこには2台の濃緑のBMWがパラレルに仲良く並んでいた。もちろん壮年Aにはどっちがどっちの車かなんてすぐに分かる。でもバカみたいにクビを左右にアレアレアレなんて振ったりして、ちょっとナンバーを確かめる素振りで後づさりしてみたりして。理由は先生のBMWの中には先生当人が乗っておられ、それを囲むように若い数人のヘルパーさんと看護婦さんが集まっていたからだ。悲哀に近いなんとも情けない救いようもない嵯峨と媚びの露呈、ピエロかおまえは。いい歳こえて、嫌いだおまえなんか。
満面の笑みで隣の先生のBMWにドアをぶつけないように、若いヘルパーさん達の印象を悪くしないように、そっとエンジンをかけていつもよりスローに老人ホームの駐車場をあとにするA。当然だが、母がやっかいになってなかったらこんな事は絶対にしない。Aが決断してAが選んで入れた老人ホームだ。ここで来年90歳を迎える母に不利な人は作れないから。
(注1)
先日の男性更年期障害の自己判断テストの中の1項目。「早朝勃起はありますか?」(早朝勃起なんて4文字熟語初めて聞いたかな)で、少し見栄はって「1週間に1度くらい」に○印。ちなみに、「1週間に1度くらい」は注意度2点、「全く無し」は4点。
     
路上フェチの方針 [2]
●2004年10月14日 
雨の芝浦PA。深夜。薄明のアスファルトを水しぶきと共に次第に近づきながら遠ざかっていく大型トラックの音を聴く。響きは濡れた秋の大気の中で張りつめんばかりに強くたくましくPA内に反響している。壮年Aは愛車の窓を少し降ろしてその音を未練がましく見送っている。路面上に蓄積する水の層を正確に切り分けながらトラックの輪は時を進行する。海風は吹いて静まる。トラックは海風の中で過ぎ去る時間と同じ周波で闇夜へと消え去って行く。周囲の生命あるもの全てがきっと今を目撃をしている。瞬間という概念は壮年Aの中でこのように生まれては消える。しかし瞬間に背を向けるとすぐに寒々とした無人の荒野がAを襲う。きっと何かが必要なのだ。こんな幻想にいつも追い越されては車を降りる。
感傷に浸り過ぎる傾向を負と定めると昼間の現実が重くなる。だから感傷を正としていつもここでラクになる。子供のような解決法で生き長らうよりもいっそここで死に絶える方が成熟かもしれない。でもしない。瞬間をピミッドのように時で積み重ね、時を蹴散らして走るような素敵な行為がまだかすかに残されているような気がどこかでする。許される小さな希望が見える。大きな声を出して正面から近づくと希望はすぐに逆光の中に逃げてしまう。かといってトロトロしていると闇の中に見失う。その希望は確かにすぐ近くにいる。しかし希望を手に入れる為には何かが必要なのだ。もしかしたらスピードかもしれない。しかも残像を追う程のスピード。
白い歯を出して笑う少女にどう恋したのか全く覚えていない。その場限りの気まぐれ凧のように短時間で接しただけ。幻影に似た胸の奥に潜む無形物が地上にちょこんと露出しただけ。そんな抽象に恋した所で壮年Aの酸化しきった本質は少しも揺らいでくれない。もっと刺激をもっと差別を。胸の内に収まらぬほとばしる激情は差別される魂の叫び。魂に襲いかかる邪悪な精神をも味方につける強靭なパワーが理想。パワーを持って走ろう。絶対のパワーは夢を借りて甘味な現実を作り、得な方角へと皆を導く有り難い動機と化す。でも何かが必要なのだ。もしかしたら勇気かもしれない。しかも覚醒する程の勇気。
なんてね。そこらの安い小説家を真似して阿佐ヶ谷の安酒場でタラタラほざいても優しく付き合ってくれる人なんて誰もいない。オオ恥ずかしや、おぞましや。でも既にこの歳だし、いいやもう、なんて開き直って愛しき首都高・芝浦PAをおん出る。しかし何かが必要な気がするのは事実です。金とか愛とか健康じゃなくてよ。おかげさまで夜は良く寝れますけど。
     
立派な塔まで立っちゃって(湾岸B・大黒PA)
●2004年10月17日 
JR中野駅のガード下を南北に走るのが中野通り。中野サンプラザを左に見て北にステアリングを向ける。早稲田通りを突っ切って、西武新宿線の片道2車線・上下計4車線の珍しい踏切まで行かない手前、右側に昔からある人気のケーキ屋がある。どっしりしたマンションの1Fが店舗になっていて春は満開桜並木の下の緑の看板が目印。駐車場は4台分だけ。店舗内の隅には木製の厚いテーブルを集めた小さな喫茶スペースがある。
安くて人気の店だからこの限られた喫茶スペースは休日の午後にはすぐに満席になってしまう。妻と娘はここのモンブランに目がない。ここに座ると宿命のごとくモンブランしか頼まない。ここのモンブランは店一番の人気商品らしいけど、どうも壮年Aは昔からあの太いソバのようなモンブランの姿には違和感がある。それに何であれの名がモンブランなの? 確かに山のようだけど。
壮年Aにとって、ここに座る小さな愉しみは二つ。その一つは、テレビなんかによく出るあのカリスマ獣医の病院が中野通りを挟んだ真正面に見えるからだ。その玄関の駐車場にはあの白いフェラーリが通勤用に普通に置かれている。病院の2階一面のガラス窓にはこれまたフェラーリのホイールが飾られ、最初見た時には車のチューナーショップかと思った。
紅茶とケーキなんぞを試しながら「そういや今度の日曜劇場は、田村正和と黒木瞳だよな」なんて見てもしないのになんか日常に触れてみたかった話題をかましつつ、2Fで働く美容師のような看護婦さんのカラフルな制服を見たり、大事な大事なワンちゃんが急病なのか前に止まったメルセデスのEあたりから、リボンを召したチワワだかマルチーズだか抱えて焦りまくって病院内に駆け込んで行く短髪固めパーマの黒地ビーズ刺繍セーターおばちゃんを見ているのも結構楽しい。
もう一つは、この界隈でよく見かけるゲイな人達の動向である。この辺ってそんな人達にとって特別に住み心地がいいのかもしれない。男性二人でテーブル上で軽く指を絡ませながら「この値段でこのショートのイチゴさすがね!」とか「ほら、こんなにシュークリームが入ってる!」なんて。「ちょっと私声大きかった?」周囲を気にした素振りを一応見せながらも最高にはしゃいでいる姿はなんとも温和で楽しそうだ。もう周囲の男女のアベックは引きまくってシーンとしてますから。
そういや30年程前だったか、西新宿の某中古レコード店で「おすぎとピーコ」に遭遇した記憶が壮年Aの頭に蘇る。シングルレコードを選んではその歌手の噂話しに花が咲く、あの頃の若いお二人も実に楽しそうだった。なんかゲイのカップルってみんな特別に楽しそうに見える。その分冷えた後は相当に暗そうだけど、でもあの炎上するような時期を他人事で垣間見れるこういった遭遇は結構ラッキーだ。彼らの強力な幸せは生クリームに乗って相当に快感だし。
そんなこんなをカフェオーレすすりながらチラチラ拝見しつつ、駐車場に止まる愛車のしゃこたんシルエットを眺めていると、調理場からのケーキ屋独特の甘味な空気に侵されてか、何とも言えぬフニャ〜とした曖昧感覚に支配され、時間の軸が3倍位にグニャ〜と伸びて、このままここに腰掛けて朽ち落ちそうな幻想に無抵抗で身をまかせたくなったり。このまま消しゴムか何かで誰か私を静かに消してくれないかしら、なんて。今までの事、全て無かった事に。
ちなみにこのケーキ屋は結構有名で、名前は「季の葩」と書いて「ときのは」。獣医はもっと有名で、カリスマの「野村潤一郎」さんというらしい。この界隈、なんとなく素敵かな? でも住んだら飽きるかな。たまに通る位がいいのかもしれない。毎週ケーキばかり食ってられないし。
     
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