●1998年01月14日/水
 いつからこんなに国中の道路が鏡だらけになっていたのだろうかと思う。気が付いてみると角という角そこいらじゅうに建っている。丸い大きすぎる光る円盤が斜め下を向いて乱立する様子は遠くから引いて見ると結構異様だ。外国にもこのての光り物はあるのだろうか? 日本の場合は特に道路が狭く道幅に対して鏡の直径が心情的には大きすぎる様に感じる。充分に親切過ぎる。VITAを駐車場から出して幹線に出ていくまでにどんなにコースを選んでもゆうに10枚以上の鏡と遭遇し、10人以上の自分と出会ってしまう。家から一番近い鏡、必ずその前を通らなければどこにも行けない最初の束縛を感じる鏡にいたっては、知らず知らずのうちにクボミがどこにいくつあるか、その凸感の微妙な歪みはどうか、までちゃんと潜在の中に入ってしまっていて、かぎりある記憶の残量の中で、なんで僕はこんな事までを覚えなければいけないのか腹立たしくなる事さえある。こんな時はえてして精神状態が荒れてる時で、写っている物体、VITA、僕が実像として本当にここに存在するのか否かまでもが信じられなくなっていて何回も鏡の中を覗き込んでしまう。僕からは死角になっている壁の向こう側の道路から近づいて来る車の反射像は本当に鏡の中に写ってくれるのだろうか。鏡には写らない空像のような証明できない物体の移動は100パーセント考えられないのだろうか? 鏡を信じられなくなると他人はもとより自分までもに底のない猜疑心が湧いてくる。
 しかし通常の場合、何が通常なのか解らないけれど、要するにたかぶってもいないしナーバスにもなっていない平常時には、鏡の反射する凸の中に小さく写る自分の姿はVITAも妻も娘も含めて現実の状況と比較して、どうみてもほほえましく遠く感じられ、僕にとってはとても大好きな日常の中の貴重な虚像の一つであると思い、同乗の妻や子にこの事を鏡の前でよく話す。その度にいつも満足な共感を得られないままVITAは鏡の前を通り過ぎてしまい、次の鏡が現れる頃にはとっくに話題は次に移っている。こんな事がよくあるんだけど。
 今年に入ってから僕の中の時計が遅くなったのか、周囲の時間が速くなったのか、人が物が話題がめまぐるしく展開し始めている。何が起こったのか確かめる暇なく次の情報が容赦なく飛び込んで来る。ゆっくり鏡の中の自分を確かめる時間もない。唯一VITAの中だけが僕時間で回っているように本当に感じる。ついにノロマになってしまったのか。ところであの道路に建っている円反射鏡の正式な名称って何というのかしら。
 PS. 世の中、色々な人がいるものだと思わず笑みがもれてしまう。洗車だけでHPを作っている方がいて、その方のHPにはこれまた「洗車好きな人のページ」「洗車フォーラム」などというリンクがある。笑いたくなるほど感心してしまう。

●車の洗い方 http://www.geocities.co.jp/MotorCity/1197


●1998年01月16日/金
 昨日成人の日で休日。朝起きたら大雪。前回の雪で凍結の怖さを充分学習したので直ぐにシャベルを買いに駅前商店街に娘と繰り出す。しかしどこに行ってもシャベル売り切れ状態。いつも泥縄式の東京人に呆れるが当然自分もこの中に含まれている。雪降る中、何件も廻って諦めかかった頃、ふと見ると電気屋の店先にあるじゃないの、シャベル。なんであるの電気屋に。「発想なき所に探し物はいつも在る」教訓を胸に、めざとい電気屋を後にすると、すれ違う人々から矢のような視線と質問。どこで手に入れたのか必死の様相で鼻水垂らしながら迫るから、教えようかどうしようか意地悪な人になってしまおうか、それとも2200円で買ったシャベル、倍の4400円、いや8000円位でも売れるな、なんて脳裏かすめながらも親切に電気屋を教える僕。昔々のオイルショック思い出しながら、雪の東京での悪どい買い占め商売を思い付くが、仲間集めてやってみっかななんて私。この時期のシャベル、マジに1万円でも売れまっせ、だんな。しかし今後雪降らなかったら、どないしょ、アホやんけ。
 駅前のダンキンドーナツで娘と二人で暖休憩。娘は大好きなコーンスープ、僕はクラムチャウダーをすすりながら至福の時を外の雪を見ながら過ごす。久々に学校での様子を聞く事ができた。好きな男子がA君からB君に変わった事とその理由。理由は確かに正当だ。C君のパパが350万円の新車を買ってC君に「おまえの家の車はいくらか?」と聞かれ「ビータという車でもっと高いと思う」と答えた状況一式。D君の家庭が崩壊寸前でお母さんが先日ドコモの携帯電話を新入手したとのニュース。なんでドコモなの? 20年位経ってまだ生きているとして、今日の日この時間のノスタルジックな記憶として甦る未来を想像して席をたったら壁に立てかけておいたシャベルと傘をまるごと倒して、その音に慌てた娘が自分の食器も落としてしまい店中大騒ぎになってしまった。
 午後、隣の家の雪かきを手伝いすぎて自分の家の雪かきに力が入らなくなってしまう「いい人 」になって、雪に埋もれるVITAの写真を2枚撮って、道すがら雪合戦をして冬を楽しみながら行こうと話し合って、モスバーガーと犬のコジマと図書館に外出した。道中、雪を被る紺のミニクーパーと赤いメルセデスに気を奪われ妻子の雪団子の集中砲火を浴びながらようやく早稲田通りまで徒歩でたどり着く。犬のコジマでシベリアンハスキーの緑青の目に悩殺され、本物のネオンテトラとアクアゾーンのネオンテトラの大きな違いを認識していると、表の中杉通りで黒猫ヤマトがスタックして周辺がクラクションの渦になっていた。ねんきヤレヤレのハイエースのお兄さんが半分切れて黒猫ヤマトを車中から引きずり出して運転を替わる。それでもタイヤは空転を繰り返し、周囲の男どもと一緒に手伝うもチェーンの跳ね上げた泥でズボンがビチョビチョになってしまった。こういう男の無償の姿を女子は美しいと思うのかなと妻に後で尋ねると、態度だけ参加してあまり役に立たなかった長髪の青年の方が注目を集めていたとの事。雪の降る日もやはり正義は没却していた。
 図書館でアサヒパソコンとカー&ドライバーの新刊に目を通し、フォトショップ4.0とMAC OS8の分厚い解説本を借りて、薄暗い 夕方の中を親子3人凍えながら無言で帰る。既に凍えながら無言で待つVITAをまたもやストロボして家中に入ると天国の様に暖かかった。18リットル700円のお買い得灯油に火を入れると心身共の幸福に見舞われ、大切な一日を過ごした実感の中でバドワイザーのプルトップを大事に開けた。VITAのチェーンを買い忘れていて良かったと思った。

●1998年01月19日/月
 内緒ですが乗れば乗れるもので子供2人含めてだけどVITAに7人も乗って、とりつかれたようにスペイン料理屋へ繰り出して、やはりスピードを上げるとブレーキの効きも悪くなり、サファリパークにカブリオレで出かけるのとどっちが危険かなんて冗談いいながら走るなんてまだ正月気分が抜けない連中のする事かもしれなかった。もうしません。他人のせいにする訳ではないが、我が家族3人だけだといつも道徳の域から出る行為に走る習慣などないのだが、いつものノリのいい家族と合流するとつい相手のペースにはまってしまうのが悪い癖。しかしわざわざ来たにもかかわらず結局スペイン料理と言われて思い付くのは全員フライパンの上に生米を注ぐイメージのパエリア位なもので、他にどんな物を食べてどんな酒を飲んでいいのか誰も見当が付かない有様。注文は誰かにまかせて僕が窓ごしにVITAの勇姿を撮っていると、VITAはドイツ製かと聞くので、スペインで組み立てられているらしいと答え、どうりでスペイン料理屋の窓にはVITAが似合うハズだなんてみんなで妙に納得して、僕もそうでしょなんて道理・理屈にほとんど合わないクイジーで非ロジカルな一日を過ごしてしまった正月初頭の写真が今日出来上がって来た。その時にみんなで交わした窓にまつわる会話の中で、窓の外は南国、窓の外は雪国、この2つをあんちょこに合成で作り上げるとその時のスペイン料理屋の正月の店内が甦って来る。あの国から帰国する者すべてが語る区切りない淡い流れに支配されるスペイン時間。まだ2週間チョイしか経っていない正月がすでに遠い昔の様だ。
  

●1998年01月21日/水
 自宅のテレビ画面に20年以上前の学生運動が映し出されていて、「あの時の活動家達は今?」なんてふうな番組をやっていた。妻が正月のいつだかに放送したやつをビデオに撮っておいて今ごろになって再生して見ているのだ。おきまりのエンタープライズやら安田講堂が登場しては、その間にもう50歳は過ぎている元活動家達の今の素顔が写し出されている。全学連とか全共闘とかセクトとか言っても若い人には何の事やら分からないだろうが。(当然分からなくても全然OKでいいのですが)テレビの中の元活動家の一人が言っている。僕の25歳以降の人生はまったくの余生であります。この余生を、世の中を下から見る喜びを感じながら、その都度楽しい事を見つけては時間に身を任せて生きているのです、と。
 当時の学生運動の大儀とか意義とかはとりあえず置いといて、しかし何故にあの時代の若者はあんなにも煮えたぎっていたのか今となっては見当もつかない。僕の高校は運動(当然陸上でも野球でもありません)が盛んな学校で、入学式も卒業式もついに覆面学生乱入で阻止されてしまい、君が代斉唱の記憶も当然ない。当時実際に学生運動の矢面に立っていたのは僕よりも5歳位上の大学生だったので僕なんかは主役どころとは少し年代がずれるのだが、なんだかんだと引っ張り出されては投石用のコンクリを砕いたり、角材やら鉄パイプを物色したり、今考えるととんでもない危険な事の手伝いをさせられた時代だった。よく考えると僕の軽薄な無責任な行為で間接的にせよ傷ついた機動隊の人もいたのではないだろうかと思う。高校での授業も、政治経済の時間にはどっかのセクトのバッチを胸に付けよと強制されたり、ホームルームの時間には、田中君の意見はどうですか? なんて議長から指されて、僕はどっちでもいいです、とか、僕はよく分かりません、なんて答えようものならもう袋ダタキであった。左右、賛否、認否は常に明白にしておかなければならず、理論武装なるおかしな言葉もまかり通っていたし、40歳を過ぎた今と比較しても数倍は疲れるティーンエージャーだったかもしれない。
 20代中頃に深夜のタイ・バンコク裏通りで強盗団に会いナイフを口の中に入れられて、あまりの恐怖で失禁した事にも気が付かなかった僕がいたが、この小さい人生でその次くらいに恐怖を感じた出来事が学生運動盛んな時代にもう一つある。新宿の南口近くの喫茶店で友人との談話中にいきなり鉄パイプにサングラス・ヘルメットの数人が乱入し、僕の2つ前の席にいた一人をメッタ打ちにして飛び出していった。その間ほんの1分位である。打たれた男の頭部は形も崩れ、僕の体には彼の頭から飛んだ血の混じったネバネバした流体がかなり付着していた。一瞬なにが起こったのか呆然とするだけで、少し経って外に出てみると犯人たちが逃げ去った方向にはタオルやら帽子やら手袋やらが点々と落ちていた記憶があり、駆けつけた警官と現場で話して自宅に帰ってからのテレビ報道で学生運動の内ゲバ殺人だと初めて知った。
 よく納品の帰り道、近くの大学のキャンパスの前を通って政治的ヤジを書いた独特のタテ看板と歪んだハンドマイクの声を今でも耳にするが、ふと見るその大学の正門前には数え切れない程の外車の縦列駐車で、この充分に資本のかかった車群と校内のヤジ看板との共存が、僕達の垣間見た時代の何らかとの大きな落差に写る感情を思い出した。何が大切なんだ、本当に必要なものは何なのかを忘れがちな働き盛り(?)の40代を生きて時間に追われてばかりいると悲しいかなテレビの中の元活動家達の語りについ無関心でいられなくなってしまう。共鳴こそはさすがに無いが、未だに摂生して己に生きる、生きているらしい先輩諸氏の口から欠けている部品を補うような台詞が漏れる度に、10代より40代のほうが楽な時を過ごす自分にまったくの異変を感じていなかった異変を笑い飛ばす訳にはいかないと感じる。本当はVITA以上のものを気付いたり見つけたりしなければいけない時期なのかもしれない、と朝の駐車場の横で思ったのだが。

●1998年01月24日/土
 リアルタイムに限りなく近い画像がほしい。近すぎて通り越しちゃって近未来の画像でもいいから最初からデジタルがいい。アナログで撮って、カメラ屋さんに頼んで、取りに行って、こういう類のタイムラグと面倒には最近ついていけなくなっている。タイムラグっていっても、撮った時点でもう過去なのだからしょうがないでしょうと我が家の理屈屋さんにきっと言われそうだが、その時はどう言おう。妻にVITAを撮るからデジタルカメラを買うのだと言うと、事務所のスキャナを買え替えたばかしで贅沢だと言われた。その事を先日プールの帰りにジュースをおごってやった娘に話すと、娘も贅沢だと言った。おまえらはいつもグルだな。来月あたりにVITAでスキーに繰り出す計画でも作るかと考えていたが、それでは考え直すとするか、とセクハラ風に言うと、電車で行くからいいと答えた。
 新しいPHSは必ず駅前に行けばタダで手に入る。新しい携帯電話は必ずOA代理店に頼めばタダで持ってくる世の中。こんな状況下でもう7・8本は使い捨てのように替えてきた。給電の能力が下がって新しいバッテリーだけを入れ替えるとどうしても数千円の出費となる。本体まるごと新しいのにするとタダ、しかも年々小さく軽くなる。こんな理屈にあわない買い物は変だけれど.... しかし新しい電話を持ち帰る度に妻と子はいい顔をしない。タダなのだから浪費に腹を立てているのではなさそうだ。どうも真相は、こんな道具に夢中になっている僕に腹を立てているらしい。
 僕が追いかけまわすデジタルカメラも携帯電話も妻子には同じように映るらしい。考えて見ると従来方式で事は充分に足りる。35mmで1日待てばいいし、公衆電話はまだそこらじゅうに在る。そんな物に夢中になっていないで、足を地にちゃんと着けて、現時点でのあなたに何が一番大事なのかちゃんと考えてごらん、と言われているようである。実際には何も言わないが。こういう事は僕の物欲人生ではかなりの回数で出現する。ギターが欲しい、ニコンがほしい。98ノートがほしい。車がほしい。親元を離れてここ20数年の間にいろいろ勝手をこねて来たが僕の本質はいっこうに進歩しないようである。しかしそんな物列の中でも不思議とVITAだけはスンナリと決まってしまった。ちなみに妻は何か欲しい物があるかと聞く度に、愛がほしい、と答え、僕も習慣のようにハアとかその度に言うのだが、最近は娘にまでそれを真似する兆候が出てきていてあまり物を欲しがらない子供になりつつある。
 今年の東京は既に大雪2回。雪が降る度にチェーンのないVITAは地蔵のように駐車場に居座っている。ただでさえ距離を乗らない生活なのにますます運動不足になってしまうVITA。心臓病にでもならないといいのにといつも優しく声をかけるが最近はなんだかそっけない態度だ。おまえまでも妻子とグルなのか。雪と正月で1000km点検のタイミングを外してしまった。今更面倒なので勝手の2000km点検に鞍替えしようと思っている。
 PS. しかしなんでJAF MATEの表紙はいつもあんなにいいのだろうか。いつも表紙だけが印象に残る。

●1998年01月28日/水
 急ぎの仕事が重なり久しぶりに深夜のタクシーで贅沢帰宅した。深夜2時40分の平日、今の東京のタクシーは空車ばかりだ。数年前のバブル時を思い出すと信じられない状態である。つい数年前に深夜タクシーを捕まえるのにどれだけバカな苦労をしなければならなかったか思い出すと苦笑してしまう。需要と供給のバランスというか、経済の反転というか、サインカーブのように浮き沈みする生き物のような景気を感じる。
 信号と信号の丁度中間位で物色する僕に向かって2台のタクシーが迫る。左前方からは信号待ち状態からいきなりバックに入れて向かってくるタクシー。右後方から向かってくるヤツはアクセル全開ダッシュである。ゼロヨンみたい、ホイルスピンまでしている。2台が僕を取り合って目前でぶつかりそうになってフルブレーキのほんとかよ状態。こんなとんでもない状況にならざるをえない程今の東京の景気は悪いと考えるべきなのか、こういう闘争心が彼らの隠れた生き甲斐なのか、それとももしかして僕が大いに魅力的なのかな。バックのワゴンタクシーが若干速かったのでしょうがなくそれに乗り込み後ろを見たら、フロントガラスの暗闇の中に中指を逆にぎこちなく立てた運転手がいた。へんな日本人。
 ワゴンの運転手がやたら飛ばす。信号無視は当然のようで、坂を降りながら左折したらバックの中身が飛び出してふんばる僕の身体もくの字に曲がる。とんでもないヤツに乗ったもので、走行距離も相当いっているらしくサスもシートもヘタリにへたって尻が痛くてしょうがない。今度はいきなり携帯が鳴って、僕かなとポケット探すと、運転手君おもむろにマイ・マイクをどこからか取り出す。マドンナみたいなマイク付きイヤホン頭にかぶってどこかの誰かと話しながらコーナリングを楽しんでいやがる。巧みにギアチェンジしながら、なーんだもう来ちゃったのー? 今ー、杉並に向かって疾走中でーす、なんて話している。オイオイオイなんて思いながら、それ携帯なの? なんて消極的に聞くと、他に楽しみないからねー、なんて答えたかとおもったらまた呼び出し音が鳴る。今度は雑談だ。シリーズその1、ラッキーストライクのCMのバイクのお兄さん、あれ実はバイク便だって知ってた? なんて実は...シリーズ始まっちゃって、シリーズその5ではなんと、キムタクは実はホモでクサナギ君の密部に出来たイボをこよなく愛しているらしい.... その度にガハガハ大笑いして車が少し左右どちらかに振れるのである。しかも時々ミラーで僕を確認して笑いを強要する目線をしきりに送る。深夜3時である。
 面白くないよ、いいかげんにしてよ、と温厚な僕もやっと切れた頃にはもう自宅の前。千円札数枚シート越しに差し出すとまた携帯が鳴った。あと5秒で空車でーす、とマイクに話す声を閉まるドアが消す。遠ざかるテールランプが30m先で少し停止してから一気に加速して深夜の根雪が残る住宅街に消えて行った。駐車場のVITAを振り返ると行儀よく僕を見ている。東京の深夜の黒い空をデジタル変調された狂喜の電波が毎日の様に飛び交っている。人間の高潮する悲しい都会の夜を感じた。深夜3時15分。


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