●1998年03月04日/水
 妙にアゴがしゃくれた女アントニオ猪木と不自然に首を振って喜ぶ家族のCMに定期的に洗脳されて、アメリカン・ホーム・ダイレクトに保険を乗り換えてしまった。ノンフリート16等級に30歳未満不担保とABS・エアバッグ割引つけて、対人無制限・対物2000万円でたしか保険料年額18880円。今まで加入していたAIUよりも約5000円安い。たしかに金額的にはかなりのディスカウントだが非常時の対応の実態は解らない。しかし4月からの保険証書がもう手元に届いていて、長い付き合いだったAIUからの更新ハガキが来たら何と言おうか考え中である。でもこの安さは魅力だものなー。でも何であんなダサいCMに絆されたのかしら。画質もザラいし、それにあの指振りは是非やめてほしいよなー。
 ちょっと知り合いの町の不動産屋さんと建築屋さんの社長と世間話をして来た。皆さんとんでもない不景気を訴えておられた。とにかく契約の数、仕事の発生件数がこの所又、激減しているらしい。へたをすると仲間内、地域の中で仕事の奪い合いになるらしい。どこも人件費をなんとか死守するために仕事を膨らますなどしてナリフリ構わずの姿勢だそうだ。この3月末がまずは山だとお二人の意見は一致していて、また夏あたりにさらなる底があるのではないかと予測されていた。まあ皆が底だ底だと騒いでいる時には結構本当の底はまだ先だったりするのが世の中の常だが...どうなる事か。しかし車好きのこのお二人のセドリックとシーマ、手放されてはいなかったようでまだ駐車場にちゃんと大事にピカピカで停まっていた。まだまだ口ほどには切迫してはいない様子だったので少し安堵。
 それに比して妻が以前勤めていた制作会社の社長のセドリックはその豪華億ションの地下駐車場から完全に姿を消していた。誰でも知っている大手印刷会社の下請け。下請けといっても数10人の社員を抱えていい時はそれはもうすごい羽振りだったのに。ハワイだ、オーストラリアだって、体が覚えて抜けきれない位の豪遊重ねていた時期もあったのに。あの大手印刷会社の直系だから周囲はまったく安心して見ていたと思う。予期せぬ所に災害は降りかかるもので、みんながビックリの本当の夜逃げ。ある日突然、家族3人、どこかにワープしてしまったらしい。しかし中学生の子供の住民票はどうするのだろうか。
 娘を喜ばそうとやっとこさスキー宿の予約を入れたのでVITAのチェーンを買いにオートバックスへ。店員のあきれた顔を無視して1時間半も数種を物色し、結局オーツタイヤ製のゴム製チェーンを購入。MIGHTY NETって書いてあるE typeの165/70R13用。シーズンオフも間近のせいか半額の12000円。店員曰く、付けてる事を忘れる静かで快適な乗り心地ゴム、だそうだ。お兄さん何考えてるんだか、とっても嬉しそうに説明してくれました。俺ってそういう風に見えるのかな? 付けてるの忘れるのなら、外すのも忘れそうだ。20年ばかし前、チェーンといえばその名のごとく金属鎖全盛の時代にいち早くゴルフヂーゼルにドイツ製ゴムチェーンを付けた僕は中里あたりで注目の的でしたが、たしかあの当時で5万円以上だった記憶がある。たしか数日間、銭湯我慢して、ウドンばかし食べて。あの当時の車に賭けた生活を想いだしチェーンを手にとってオートバックスで一人過去に悦する。
 昼休みに近所の本屋でグラサン女がのけ反る表紙の月刊ナビ今月号を立ち読みしてたら、FM東京の坂上ミキがメルセデスをわがままに購入したとの記事があり熟読しつつ、その前はOPELでその時の代車でVITAにも乗っていたとの事。毎日聞いているFM東京の午前中がなんとなくより身近になり、仕事にも張りが出そうだ、なんて事はまったく起こらない体質だが、皆さん売れて来るとお金が貯まってくると決まったようにメルセデスにいく現象。車って対象物は単純で完結していて解りやすくていいのでしょうね、という何も起きない前提を綺麗な車雑誌の記事からいつも感じて本屋を後にする。
 思い出したように頭中に巡る事を箇条書きにすると気が晴れる。ディスクトップに書き散らしたファイルを集めてつなぎ合わせて一読して共通点を探るも何も無し。ここ数日の僕の象徴である。忙しくて事務所に泊まり込んで深夜ふと焦げた臭いに目を向けると消し忘れた電気ストーブに靴底が加熱していた。景山民夫じゃないけれど人間はこんな風に地味に死んで行くのかもしれない、と電気ストーブを深夜に見つめる生活はやめにしなくてはVITAにいつまでも乗れないのに。暗いな。

   ●1998年03月07日/土
 まずは新宿にVITAで出る。いつも電車で行く街に違う交通手段でたどり着けると何だか不思議な気持ちに毎度なる。電車で行っても、車で行ってもあの新宿はいつもそこにちゃんと在って、同じ顔をしている。地球を遠く離れてここに戻って来ても、そこにはちゃんと杉並区があって、阿佐ヶ谷駅があるのだろうか。時間と距離の理屈はこの世の定理なのだろうか。しかし僕が幼児だった頃、京王プラザホテルでさえもあの西口には確か存在しなかった。スカイスクレイパーズ...こんな発音だったか、必要なのかなあの一帯。
 暮れに亡くなった友人の勤めていた新宿の事務所を訪ね、遺品のMACハード一式をVITAに詰め込んだ。17インチのCRTもPM8100本体もダンボール箱に詰めると結構な品物で、VITAのリアシートを完璧に倒してなんとか収納。先の日曜日に購入したゴム製チェーンの格納箱が結構大きくて色々入れ方を工夫しなければならなかった。VITAにこれ以上のトランクスペースを期待するのも酷な話だが、こういう時は昔の万能ゴルフが少しばかり懐かしくなる。
 フォトショップ得意のデザイナーの彼女から色々仕事の話は聞いていたが、いざ実際に愛用していたマウスやすり切れたマウスパットを手にするとなんだか生々しい感覚に襲われる。また同行した実のお姉さんが亡くなった彼女そっくりの声なので、エレベーターの中や車の中で顔を直接見ないで話すと一瞬ドキッとする時がある。今だに亡くなった事が信じられないし、僕がこうしてVITAで彼女の遺品のMACを運んでいる現状はもっと信じられない。
 世田谷のマンションの一室に無事MACを再セッティングして僕の役目は終了する。近くに適当な駐車場所が見つからず、駐停車禁止の街道脇に止めたVITAが気がかりで自然と作業が早くなってしまった。ご褒美に昼飯をご馳走になり、ビール券の束を一度遠慮して断って、二度目に、こういうのは世間の常識だから、と言われて遠慮なく受け取って、仕事がありますからと言って失礼した。暮れが迫って亡くなって、大晦日をはさんだお通夜・お葬式に出て、2カ月少しが経って、今日、遺品を運んで。飯田橋の事務所のやり残した仕事に向かう道中、世田谷通り、環7、大久保通り...と死についての纏わり事で頭の中はいっぱいになっていた。右から出てきた黄色いボルボを避けようとしてハンドルを咄嗟に左に切って危うく後方バイクを突き飛ばす所だった。機敏に動いてくれたバイクのお兄さんに詫びを言った。彼はヘルメットごと1回だけうなずき直進して行った。格好いい。尻のポケットにはきっとラッキーストライクか、と自分を茶化そうと思ったが状況を考えてやめた。しかし以前から感じていたが、世田谷にはなんであんなにVITAが多いのだろう。今日の数時間で世田谷区内ですれ違ったVITAの数はきっと20台を越している。これは決して誇示した数ではありません。
 頭に残る会話がある。最愛の妹の死に直面した時、自分が独身で家族がいなくて良かったと思えた瞬間と、家族が欲しかったと願った瞬間があったとお姉さんは言われていた。前の例は、完璧に密着して妹と末期を共に過ごせる時間がとれた事。後の例は、手術の後で摘出物の確認をとったり、残りの命の宣告を受ける場で自分一人で受け止めるしかない動揺を隠せられない時だったそうだ。そして話しながらレストランの窓の外のVITAの緑色を誉めていた。
 人間はいつか必ず死ぬ、早いか遅いかの違いだけだ。とも単純に割り切れない感情の中で都内を東西に彷徨った土曜日もこれで終わる。VITAは近くの15分100円のパーキングで今日も忠義に待つ。いったい幾らになっているだろう。闇に光る赤い数字が毎度小憎たらしく思う。それにあのシステムは100円玉の捻出に実に困る。

  ●1998年03月09日/月
 来週のスキーに備えて新規購入のゴム製チェーン装着の練習を自宅の前で午前中よりセコセコやっていた。いい天気である。いくら膝まづいてタイヤに嘆願しても内側の留め金をどうしてもとめる事が出来ずジャッキUPしていると、後方1mに同じリオベルデのVITAが知らぬまに停まっている。 初め鏡かなにかに僕のVITAが反射しているのかと思ったが、リアの反射像がフロントの訳がない。そんな超現象あったら面白いけれど....
 ドアを開けて出てこられた男性はかなり年輩の方だった。いきなり、Hi! Nice to meet you. とは残念ながらおっしゃらなかったが、お洒落なネッカチーフ系の紳士である。97年の右ハンドルの16VGLSに乗っておられて、どうもパワステが重く感じるので僕のVITAと比較させてくれないか、とおっしゃる。毎日のように僕の家のVITAの横をGLSで通っていて以前から気にしてくれていたらしい。当然僕の方は比較検討なんでもして頂いて全然OKだったのだが、何せ半分チェーンを付けてジャッキUP中。だったら僕がという事になり、その方の右ハンGLSに僕の方が乗り込み近所を一周してみた。リアシートには奥様が乗っておられ運転中の僕の背中に色々話しかけられる。以前はトヨタに乗っておられて、ご主人は車の事となると夢中で、VITAのアクセルとブレーキの間隔には未だに馴染めなくて....
 何が驚いたかといえば、お歳を聞いて驚いた。87歳だそうだ。当然奥様もその近辺のお歳だと思う。運転歴なんと67年。昭和の初期に免許を取得されて、その当時の法規の試験は現状のような選択方式ではなくて答え全文を記述していたらしい。とにかく戦前・戦中・戦後を通して色々な車を乗り継がれ、今現在がここにある16VGLSのVITA。すごいでしょコレ。とにかくお元気そうで、僕よりも遙かにエネルギーに溢れておられる様に見えた。失礼だが何を食べておられるのだろうと勘ぐってしまいそう。アロエとアガリクス茸とシャクリー錠と養命酒をミキサーで混ぜて毎朝3杯、明日から飲んでもこのお爺さんには到底かなわないのではないかと思う程の健康オーラをビシバシ全身より発生させておられる。しかも立ち話の途中で、母さん煙草、なんて言うとリア窓から既に火が付いたキャメルが1本スーっと煙りと共に出てくる。もう年期とか年輪なんて品物を超越している車好きのご夫婦。一昨年、健康を考えて煙草をやめた僕の存在がチンケに脳裏に写る。聞いた87歳というお歳の先入観がなければきっと高年齢者に対する一目なしに普通に会話していたと思う。その位高齢のハンディーキャップを感じさせないご夫婦だった。
 どうしてVITAにしたのだろう? どうしてGLSだったのだろう? これからもずっとVITAなのかしら? もっともっとお話を伺いたかったのだがあっという間に風のように立ち去られた。遠ざかるGLSのリアには、運転歴67年、と大きくワープロ打ちした文字がリアウインドウの内から貼ってあった。僕が今まで出くわしたVITA乗りの最年長記録は3月の暖かな陽光と共に一気に更新されてしまった。そういえばお名前も聞かなかった。最後にインターネットはお使いですか? と急いで聞くと、コンピューターはもう諦めています、と言われた。

  ●1998年03月12日/木
 もうすぐ納車6カ月が経過しようとしているのに全走行距離2000kmである。主観的に考えると、これってどう考えてもトラフィック的には車の必要性が無い生活をしていて、環境的にはもちろんのこと、車愛好家的にも自慢出来そうもない数字である。しかし客観的に考えると、こんなに国費をかけて整備された日本の道路を延べにしてまだ2000km分しか使わせてもらっていない謙虚なドライバーなのだ。所有に発生するもろもろの税金を払い、駐車スペースに対する固定資産税も払い、なおかつ道路の劣化を遅らす有り難い国民だと思う。こういう人達って日本にどの位いるのだろうか。携帯の請求が毎月基本料金だけなのに電話をいつも鞄に入れて歩いている男女を何人か知っているが。しかしこういう人達が実は陰で経済を支えていて、企業収支の帳尻を合わしているような気がする。車の値段や道路の質や通話料金に陰で貢献する非実用派人間として、僕はもっと感謝されていい人になるべきなのである、と自負しながら2000kmで1000km点検に出した。オイル3.5Lで5250円とオイルフィルター1200円、ドレンコックパッキン50円。作業代はヤナセが持ちました、とサラッと言われて、助かりました、と大人の余裕で返した。パッキン50円位サービスしろよな、が心の声。回転が気のせいか軽くなったような体感。ノリやすい、騙されやすい性格。しかし作業してくれた整備のお兄さん、工具よりもウッドベースの方が似合いそうなJAZZミュージシャンの顔だった。職工がいる自動車工場も居酒屋のように気安く入れる時代になってしまった。
 嵐のような忙しさがあっという間に去り果てて反動の虚脱感に襲われている。新宿西口ヨドバシ店頭でボーっとPHSを手に取る中年男はなんだか危ない。だから学生時代が懐かしいションベン横町へズルズルと移動して行く。ここでもボーっと一点を見つめて1人で飲んだくれている。こういう時間が過ぎないとまともな意欲が出てこない自分をよく知っているので余計ボーっとなれる。昔よく寄った飲み屋のカウンターには知らない眼鏡のおばちゃんが入っている。店は全然変わっていないが経営者がきっと変わったんだろうな、と思いきや、カウンターの奥の暗い階段の下に例のオヤジがまだ生きていやがった。正確にいうと実に23年前だろうか。若い僕は随分とコイツに絡まれた。店主が客に絡むのである。今だったら考えられないお客様サービスだ。ちょっと理屈を言ったり、ちょっと授業の専門用語を使ったり、ちょっとコルトレーンなんかの話を出すと絡んで来るのだ。殴られた事もあった。客を殴って飲み代はちゃんと取るのだ。頭だけでは生きていけネエゾ、が口癖で僕の頭を毎度小突く。小突きがいがある程、僕の顔と指の間のセブンスターと毛糸の袋に入ったジュッポーのオイルライターはこまっしゃくれて見えたのだろうと思う。ここは若い僕にとっても決して気安く入れる店ではなかったのだが。そのオヤジが暗い階段の下で死にそうに醤油の一升瓶を抱えて卓上瓶に移し替えている。こいつはノーズの長いチョコレート色のフェアレディZを、その当時奥さんよりも子供よりも愛していた男だった。そして今はもちろん僕の顔など覚えていない。
 久しぶりに電車を5駅乗り越す。ベロベロの一歩手前で帰宅する。VITAの横で立ち止まって暗い車中を覗く。何の意味も目的もなく自分の車の中を覗く。風呂に入る前、いつも見ているはずの腹の周りにこびり付いた贅肉の具合がとてつもなく今夜は異物に見え、涙が出る程恥ずかしく情けなかった。妻には仕事仲間と飲んだと言った。

  ●1998年03月16日/月
 装甲車のような4WD群と典型的なボルボ家族に挟まれながら雪の環境中を進む我がチッコイVITAには5人も乗っている。板と靴は現地で借りる事にしても非力VITAにとっては目一杯の負荷だ。この設定で長野県は菅平までSKI一泊ドライビング行。帰途何回か渋滞に巻き込まれた。5人乗車の長距離、疲れ果てた子供達の喧嘩も予想したが案外平和に車中を過ごす事が出来た。トランクルームもトレイを外してしまうと思った以上に積める。まだまだ余力を残す強力な暖房には信頼を感じたし、小型車販売には今一無関心なタイプのヤナセの右派セールスマンがいたとしたら、勉強不足の彼が咄嗟に思いつく数よりも少し多くの賛辞をVITAに捧げてやりたいと道中何度も思った。案外ヤルじゃん、VITA、だった。その時は。というのは1日経って気持ちが沈着すると別にロゴでもデミオでもスターレットでもこの位の芸当はやってのけるでしょ、と公平なさめた目で思えたから。要するに、VITAだからこそという特出した具体的な指摘は無かった中にも、VITAで行って良かったという幸福感だけはありました。これでいいと思う。
 高速道路やチェーン着脱場で雪国行きの自家用車を見ていると、鎧で包まれたゴッツイ4WD体育系と、角い黄色いボルボで代表されるどことなく北ヨーロッパの先進知的家族系と、ごくごく普通の山の手中産階級を漂わす白の5ナンバーセダン実用系の3タイプがいる。体育系や知的家族系は、スキー命の均整のとれた恋する若者達や、髭とNIKEキャップのアウトドア指向お父さんを最低1人は乗せてチェーン着脱の動作も機敏にあっという間に国道へ飛び出していく。F1サーキットのピットインのようだ。それに比べいつまでもトロトロしているのが最後の5ナンバーセダン実用系。何よりも生産性を重視する社会の中で計画的に戦略的に生きて来た人間と、行き当たりバッタリの出たとこ勝負で流され続けた人間の選ぶ車種の相違が出ている様でなんだか笑っているとますます可笑しくなってしまう。普段運動などという言葉を忘れる生活をしている人がいきなりスキーなんていう清潔な運動をするから頭まで変に解放されてしまったのかもしれないと他人のヘッドライトに照らされる度に思った。もちろん僕は極度の5ナンバーセダン実用系だ。その証拠かどうか定かではないが、ジャッキアップしようとしているVITAから誰も降りようとしないし、僕も降りろとはまだ言わないでいる。チェーン着脱が身近ではないのだ。
 帰る寸前になって僕だけマヌケな行動をとってしまった。泊まったペンションは山の中腹にある。リフトの起点は遙か下だ。リフト券売場は下にしかない。リフト券は最新式の磁気反応タイプで夕方返却しなければならない。しかも紛失に備えてリフト券の価格には前もって補償金1000円が加算されている。そして1000円は返却時に下のリフト券売場で戻されるシステムである。ああ面倒くさい。数メートル先が確認出来ない吹雪の中で滑っていると、あと10分でリフト終了のアナウス。あわてて滑走すれど吹雪の中で時間が残酷に過ぎる。僕のポケットには自分の分と妻の分の2枚のリフト券がある。なんとか10分の間に下のリフト券売場にたどり着かなければ補償金の計2000円は露と消える。と思った瞬間もう足は直滑降で下を目指していた。そして宿が山の中腹、リフトの上にある事を忘れていた。
 なんとか2000円を死守した僕の目前でリフトは全面停止してしまった。俺の宿は上にある。泣き叫んで膝まずいて訴える僕をよそに作業員達は冷たく去っていく。信じられないサービスのスキー場だ。ゲレンデには人影がなくなり、周りは薄暗くなってシンシンと冷えて来る兆しがする。度胸を決めてリフトに沿ってゲレンデを頂上に向かって登り始めるが冬山のスキー客遭難の新聞見出しが頭にちらつく。上の家族はどうしているだろうか。そういえば先週他の生命保険に乗り換えたばかしだ。もちろん受け取り人は妻にした。引き返し、時たま通る車を止めて事情を話すが誰も乗せてはくれない。お金を払うからとお願いしても乗せてくれない。とんでもない非情の高原である。紛争国に迷い込んだ様な不安に駆られながら、なんとか先に見えるホテルにようやくたどり着き助けを求めた。フロントのおばちゃんに一世一代の必死の形相を見せる。
 ペンションのオーナーがハイエースで迷惑顔で迎えに来てくれた頃には辺りは暗くなっていた。男に好かれる男を演じてストレートに何度も詫びた。ハイエースのケツが雪上で何度も流されカウンターを当てる度に気まずい気配は消えてくれた。しかし実践を積んだ見事なカウンターだ。宿を去る時、心配してオーナーが見送ってくれた。世話をやかす客に焼きたてのパンまでお土産にくれた。色々迷惑をかけたので気持ちだけ包もうと妻が言い出した。それもそうかなと同意して妻にポケットの2000円を渡した。リフト停止と引き替えに得た2000円だった。帳尻の典型である。
 この話全部を帰りの高速道路で娘がお婆ちゃんに楽しそうに携帯で話している。最後に電話を替わった運転中の僕に、旅行の喜びが悲しみに変わらなくて本当に良かったね、と83歳の母が言った。少し意味不明でもある。VITA前方には満月に近い太陽のような月が輝いている。あっという間の土日の一泊二日だった。

  ●1998年03月19日/木
 東京アパート事情 その2(2月6日付・その1の続き)
 夕方から坂の途中に女子の白のトヨタコルサが停まっている。左の路肩に寄せる距離と、ほんの少し坂下左に切れた前輪の角度によって今日の駐車の腰の入れ方が分かる。要するに泊まりなのか直ぐに立ち去るのかが分かる。今晩は泊まる予定らしい。腰が異常に低い礼儀正しい2号室の男子はまだ会社より帰宅していないらしい。女子はコルサから時間をかけて降りる。大きな紙袋を手に下げてドアをロックする。紙袋は男子が勤務する誰でも知っている某百貨店のものだった。百貨店つながりかもしれない。女子はシャワー室の窓の下の隙間から慣れた手つきで合鍵を引っ張り出して男子の部屋へ入っていく。コルサを選ぶ女子とはどんな女子なんだろうか? 彼女みずから望んでトヨペットに出向いてコルサを選択したのだろうか? 4ドアコルサにそんなに強い自己主張があっただろうか。アパート経営なんて、そんな事をいくら推測してもキリも意味もない商売だとMr.Brownは重々承知の上なのだが。
 深夜である。アパート全体が寝静まっている午前2時頃だった。俺が悪かった良子(仮名)、開けてくれ良子、どうしてこんな目に俺を合わすんだ良子..... 泣き叫ぶ男の声とドアのノブをかき回す金属音とで2FのBrown一家は目を覚ます事になる。窓を開けて下を覗くと男子が自分の部屋に入れないでいる。男子はかなりの深酒の様子で、中にいるであろう女子に入室嘆願の言葉を続けて放っている。当然契約主は男子の方である。良子、俺の気持ちは変わらないぞー.... Mr.Brownはなるべく若い人達の私生活には関わらないスタイルでアパートを営んでいるつもりだ。しかし今晩のケースは例外に近い状況。コルサに乗る最愛の良子さんに対する君の気持ちは永久に変わらないとしても、君がいかに私達に礼儀正しく、君が帰郷する度にくれるお土産をいかに美味しく楽しみにしているとしても、近所への迷惑もあるし、ここはどうしても大家の責任を果たさなければならないとMr.Brownは決意する。
 今はリオベルデのVITAに乗っておられるMr.Brown。その当時の愛車は白いゴルフだ。男子は白いゴルフの横に回り込み何やら細い棒切れで表の自室の窓を叩き始めた。片足がゴルフのバンパーに掛かっている。2Fから下を見ていたまだ余裕だったMr.Brown、一目さんで階段を駆け下りて行く。俺のゴルフを足蹴にするとはフテエ野郎だ。若者に寛大で温厚なMr.Brownの信条が一気に豹変する。
 顔色を変えて2Fから飛んで来る大家に恐れをなしたか、2号室の男子は強引な入室を急に諦め表通りに向かって小走りに坂を登っていった。坂の上の一時停止灯の赤い光が男子の振り向いた上半身を照らしている。男子からもMr.Brownの姿を確認出来たはずだ。問題の2号室の窓全体には厚手のカーテンがかかり室内の様子は確認出来ない。でもカーテンの隙間からは明かりは漏れていなかった。今も確かにコルサは停まっているが室内に女子がいない可能性もある。マスターキーを使って入室したものかどうかMr.Brownは躊躇したが現段階ではやめる事にして2Fへと戻る。しかし彼は急にどこへ行ったのだろうか。
 気をもんでベットに戻って暫くすると電話の呼び出し音が不気味に鳴る。時間はすでに深夜の3時近くになっている。駅前の派出所からだった。酔余した2号室の男子が駆け込んだ究極の地は警察だったと知った瞬間、なんだか地方から上京した子供の面倒を押しつけられた東京の代理父のような役割を暗黙のうちに演じなければならない自分に苦笑してしまうMr.Brownであった。まだそんな歳ではないのに。白いゴルフの横に赤い点滅灯が無音で停まり、中から顔をクチャクチャにしながら2号室の男子が警官と共に降りてくる。素面に戻って申し訳ないといつもの腰の低さでMr.Brownに詫びる男子を警官が支えるようにしている。絶え間ない都会の年月を接客業の中で過ごした若いストレスの悲哀を苦酒に浸る男子の顔に感じてMr.Brownの怒りと不安は消えた。
 警官とMr.Brownと男子、3人一緒に2号室のドアをノックすると素直にドアは開いてしまい、中にはちゃんとコルサの女子が立っている。警官がさとし、二人がMr.Brownに頭を下げてようやく一件落着して、近隣の家の明かりが二つ消えた。立ち去る警官が坂の途中に駐車するコルサの中を覗いている。Mr.Brownはそれが女子の車だとは言わなかった。なぜかその女子はその夜、男子に比べてとても冷静に、とても孤高に見えたからだ。
 深夜4時前になってようやくBrown家の寝室にも安堵の時がやって来た。布団を掛けて横になった時、下からだめ押しのクライマックスが響いて来る。良子、おまえは俺の女じゃなかったのか! 私は永遠にあなたの女よ! Mr.BrownはMrs.Brownの顔を寝室の暗がりの中で見る。娘Susieも起きて見ている。Mrs.Brownの表情も同じの様だ。バカバカしくてこれ以上若い過剰の恋愛には付き合っていられないのである。
 あれだけ騒いだ次の朝、表の白いコルサは何事も無かったようにアイドリングをきちんと済まして走り去った。良子という細身の女子はアイドリング中、真っ直ぐ前を見続けているようだった。エンジン始動の音で寝室の窓から覗いた時も、顔を洗って食卓に付く前に2Fのベランダ越しに見下ろした時も、フロントガラスの向こうだけをじっと見ていた。髪をいじったり、眉を書いたり、口紅を出したりしないでひたすらコルサの暖機を待っている様子だった。白い4ドア・トヨタコルサに若い女子を魅了するこれといった自己主張があっただろうかとMr.Brownは再度思った。コルサDOHCも選択肢に入れて迷ったあげく最後にVITAにした去年の秋、その5カ月前のアパート事情である。ちなみにこの男子は引っ越して今はいない。

  ●1998年03月23日/月
 10代の頃から毎年なぜかこの時期になると気になって調べる数字がある。調べても直ぐに忘れてしまうので毎年確認し直さなければならない不思議な習慣になってしまった。今年も百科事典をめくると、地球と太陽の距離はその平均で14960万km、光の速度は1秒間に30万kmだから、太陽から放出された光の粒子が地球に降り注ぐまでには8.3分もかかる。だからどうしたんだよ、と言われればそれまでの数字なのだが、僕はこういう話にとっても弱い。弱いというのは、例えば機械に弱い、という意味で使う弱いではもちろんない。
 長年日本を離れて暮らすと、こういう非日常的な内容を日常会話にさりげなく取り入れる余裕の生活が出来そうで、せせこましい慣れきった日本での生活を出来るだけ早い時期に切り上げて外国暮らしを夢見るも、あれやこれやと数10年が経ってしまいもう今更エスケイプするには切っても切れない問題が太った周囲に山積みである。
 こういう外国と光に関する黙想を続けてきた人生を下地にして今の僕はVITAのフロントガラスの向こう側を見ているのかしらとハンドルを左右に切っていると不思議と世の中が公平寛容に見えて来る先日、土日の休日で、見る物、触る物、食べる物すべてが太陽からの直光を放っているように見える。光源から8.3分を要して飛来した光の粒子が成層圏をぶっち切り、前をゆくポルシェに乱反射して僕の目の中に飛び込んで来る。その像を僕はさっきから脳で確認しているのかと想像すると、昔ある人から教わった買えない車を見たときの反射的な社会革命魂が陳腐なひがみ根性から湧き出る悲しい黒汁のように思えて来る。
 僕には一生ポルシェは買えないだろう。買わないだろう。どう考えても資本主義土壌の上で普通の収入を得ている人が普通の生活を保って買える車だとは思えない。生まれた時から既にお金の中にいた一部の人たちや、肩書や才能や事業や投機や泥棒に努力の末に成就した人々が運転する限られたスポーツカーだと思うとますます魅力的な光を発して僕のVITAから遠ざかるようで、その後をアオるように密着して付いて行くとニャッと笑いぜりふを残してブッチ切られてしまった。ドライバーは50歳台の女性で早稲田通りでの事。こうなったら巨大なモラトリアムの予感を辛抱強く待ってやるぞ、とどさくさに紛れた911のドアを閉める不況底の自分を描いて走るなんてVITAが少し可愛そうかなと道徳的に反省。
 今の4月10日号のカー&hライバーの特集が911で35年間の姿を5段階に分けて見せてくれる。アバウトな僕なんかから見ればたいした変貌を遂げているようにあまり見えないポルシェだからこそ余計に魅せられてしまう。買えないでいい乗れないでいい車で、その道を行く姿、誌上に写る姿を眺めるだけで無心になれる時を貰える唯一のドイツ車なんだと思う。
 文部省認定の映画「ちょっちゃん物語」を中野で親子で観て、戦争の辛さに生きる物語に親だけ泣いて、お彼岸の所沢で父の墓を参って、帰途83歳の母の奢りでたらふく鰻を食べて。道中3台のポルシェに遭遇して、VITAをハイオクでまた満タンにした日曜日。夜中窓をみながら寝床で一人思う事はVITAの事ではなく、遠い太陽から放たれた光の粒子とそれを反射するポルシェの事だった。僕のいびきがうるさいと娘が怒った深夜の様子を今日の朝妻から聞いた。

  ●1998年03月26日/木
 娘の友達には色々な子供がいて、学研の英語教室の友達は自分の母親の事をオモニと呼ぶし、先日のホワイトデーでお返しをもらった意中の友達はマミーと呼んでいる。多民族の環境は結構面白くてそれなりの楽しみもあるのだが、VITAを洗車している僕に向かってヘイ! ファ○ク ユー メン! なんてマウンテンバイクで遠ざかるいかれた小学生に後ろ指さされると自分がどこにいるのか一瞬分からなくなる事がある。
 今いるここはたぶん、まだ、先進国アメリカではないので、現金さえあればいつ何時も事は済むはずなのだが、僕はここ10年位いつもクレジットカードを持ち歩いて小額の買い物も出来るだけカードを使うようにしている。関越自動車道を練馬インターから入って次ぎの所沢インターで降りると450円。450円でもカードで支払っているし、VITAにハイオクを満タン積む時も当然カード。最近はJCBに集中させて、ただひたすらポイントが貯まるのを楽しみに暮らす人になっている。こんなに一生懸命貯めたポイントで、妻の意見も一応交えつつ、サンローランのスリッパやマイセンのコーヒーカップや可愛い子犬のテレホンカードに変える儚い喜びを大事にしている人生を、一種の幸せの付録と見て暮らす事はとても意義がある事だと思う悲しい術を知っている中年なのである。たぶんね。
 しかしなんたる醜態かドジかマヌケか、JCBのポイント精算月が2月である事を今年はすっかり忘れてしまい、なんとプレゼント商品と交換する機会をふいにしてしまった。悔しくて悔しくて、宙に消滅してしまった血涙のポイントを思いやると過去一年間の様々が蘇り、情けないやら、いい歳こいてセコ臭いやら、そしてやっとこの深い傷が癒えた今日この頃である。
 今日財布の中から先日の給油のJCB支払い領収書が出てきて、それには鉛筆で距離の走り書きがしてあった。今回の給油では491kmを38.5Lで走っている。計算すると12.8km/Lの高燃費。高速道路の率が増えると極端に燃費が良くなる竹を割った様な分かりやすい性格のVITAであるが、町中ばかしをチンタラ走っている限りでは7km/Lだって危ない時があり、今回は少々得した気分でその数字を暫く確かめていた。
 毎回給油の度に感じる事は、こんなにジャプジャブ入れ込んでたったの7km/Lじゃなんだか非効率的なエネルギーの変換に思えてしまい、VITAの可愛いシリンダーの中に散水機のごとく目一杯噴射されるハイオクの霧が目に見える様で、各自ガソリンをしこたま抱えて走るたくさんの車を環状8号等で眺めると中近東あたりの広大な砂漠の地下から毎日のように運び込まれる液体以外の、暗黙の動力手段もそろそろ眼中にしてもいいのではないかと思うようになる。プリウスの様な綱引き解決法もある事はあるが、電力だって所詮は火力を頼っていては同じ話の様な気がするし。例えば、僕がいつも持ち歩いている僕自身の体内に潜むほんの一部の中性子と陽子の関係を少し崩すだけでも、どれだけたくさんの東京中のVITAが元気よく走るかを概算すると信じられない数字が予測され、今さら化学反応にだけに頼る生き方もそろそろかなと、既成事実を先行させる電力会社を批判してきた自分に後ろめたさを感じながらも思う。(ちなみに中性子と陽子とはどっかの女の名前ではありませんので、念のため)
 空いている高速道路で光速により近い130km/h以上の安定したクルージング(おまえは船か)を楽しめるVITAに乗ると、隣に座る妻の顔が少し縮んで見えたり、堅めのシートに沈む自身の体重が幾分重く感じる錯覚が、煉瓦を積み重ねるように少しづつ原子力肯定に近づく僕を予言しているように見える。燦々と降り注ぐ3月の光の中をハイオクをたっぷり抱えて走るVITAの中で僕はどうしても毎年この時季、アインシュタインの神秘の陽と陰を考えてしまうのである。

  ●1998年03月30日/月
 昨日は3月29日で、今日は3月30日だ。春になりたてのこの2日間を僕は妄執のこどく毎年迎い入れている。36年間も。今年の29日、昨日の午後4時には90km/hで疾走するVITAの中にいた。東関東自動車道の前方に浮かぶ夕陽は薄い雲に覆われ直視できる光の強さに保たれている。オレンジ色に空に丸く在る太陽をリアシートの妻子がさっきから気持ち悪がっている。実はあれは核融合の末の光なんだ、と教える僕。誰も聞いていない1998年3月29日の午後4時。
 36年前の3月29日の午後3時頃。僕達は小学2年生を終えた春休み中。幼稚園からの大親友T君は頭が良い子供で、特に彼の記憶力は群を抜いていて、相撲が何よりも大好きで、僕とはすべてにおいて違っていた。当時の力士の名前をすべて漢字で書けてしまう彼は天才に思えた。近所の金持ちの家の電話が鳴り、そこに偶然いた僕がT君の家に走った。T君は在宅で、お父さんから今電話があって会社のテレビでお相撲を一緒に見ようと言っているよ、と息を切らして僕は伝えた。僕の伝言を聞いてT君は父親の会社へと家を一目さんに飛び出して行った。当時の一般家庭には電話もテレビもなかった。
 36年前の3月29日の午後4時頃。T君のお父さんは踏切の向こう側で待っていたそうだ。T君は早く大好きなお相撲が見たかったらしい。お父さんは大声で制止したそうだ。しかし間に合わなかった。T君は駅を発車したての電車にぶつかり線路上に大きく跳ね飛ばされてしまった。お父さんの目の前ですべてが起こってしまったらしい。
 36年前の3月29日の午後10時頃。寝かかっている僕の近くで父と母が話している。T君が交通事故にあったらしい近所の噂。しかし、T君をおんぶして帰宅するT君のお母さんを台所の窓からさっき見たと話す母の声。それじゃ大した事がなく良かったな、と父の声。僕も安心して寝た。
 36年前の3月30日の深夜02時頃。ふと目がさめた僕の寝ている横の雨戸を誰かが外からたたく。直ぐにT君だと分かった。このたたき方は僕とT君しか知らない秘密のたたき方。春休みが始まる2週間位前、校庭の隅でT君と約束した親友同士だけの合図だ。近くの竹ヤブの中には秘密の防空壕跡があり、その暗闇の穴ぐらが僕達男子小学生のたまり場になっていた。その入口の板戸を開ける二人だけの秘密の合図。しかし今は深夜2時である。僕は恐くなって父の布団にもぐり込む。父には聞こえない雨戸をたたく音は36年前の3月30日の深夜2時頃からたぶん20分間は続いた。
 36年前の3月30日の早朝06時頃。呼び鈴がけたたましく鳴る。門の外に誰か来ている。とりあえず母が応対に出た。父がめくったカーテンの隙間から、うちの門に倒れるように寄りかかり母と話すT君のお母さんが見えた。母のあわてる様子も伝わり父も出ていく。その場にしゃがみ込んでしまったT君のお母さんの嗚咽でT君が既に亡くなっていた事が分かった。昨日の夕方、お父さんの目前で即死だったらしい。T君のお母さんは死んだT君をおんぶして帰宅したらしいと母が言っていた。
 1998年3月29日の午後10時頃。僕は一人VITAでT君の亡くなった踏切を渡る。36年前の3月30日の深夜、僕だけに分かる合図で僕だけにお別れを言ってくれたT君と僕のために。今だに。T君が亡くなってから警報機だけだったその踏切に遮断機が付いた。T君と潜んだ防空壕跡にはりっぱな家が建ち、どこかの大家族がトヨタ2台と共に越してきて、またどこかにいなくなった。36年前の今日、T君がたたいてくれた雨戸の位置にはVITAが留まり、僕だけが今でもここに住んでいる。今年僕の娘はちょうど当時の僕たちと同じ歳になった。


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