●1998年04月02日/木
 先日の日曜日の午後、訳あって千葉県北部にいた。国道沿いのジャスコ1Fに入っているロッテリアから駐車場を見ているとアップルグリーンのSWINGが端に停まっている。男爵コロッケバーガーとポテトをゆっくり食べながら注意していると若いご夫婦が赤ん坊を連れて戻ってきた。大きな買い物袋を放り込み、リアにくくりつけたベビーシートに赤ん坊をセッティングしてエンジンをかけた時、サイドシートの綺麗な奥さんが離れた僕のリオベルデに気付いた。スタートして駐車場内をゆっくり横切って出口近くに留めてある僕のSWINGの前で止まる。DとRを繰り返し、アップルグリーンを1m位前後させながらじっくり僕のリオベルデを品定めしている。アップルグリーンとリオベルデの同系色が千葉県北部ジャスコの駐車場の出口でスペイン以来の再会を祝している様だった。とってもカラフルでした。
 相当な思い入れと共にVITAを購入した若いご夫婦のように見えた。アップルグリーンのSWINGと赤ん坊つきのご夫婦は、VITAのパンフレット(97年7月刷)のコンテンツ2と3の見開き頁に出てくる写真そのものであった。パンフレットをペラペラしている内に魔が差したように注文されてしまったのかもしれない。その位あのパンフレットと同じ情景。
 若いご夫婦はリオベルデの持ち主がロッテリアの中から自分達を見ているとは考えもしなかったのだろう。随分と長い間、僕のリオベルデの前で色々盛り上がっておられた。リオベルデを眺める若いご夫婦も、それを眺める僕たち中年一家もそれなりに清々しく時を過ごした気持ちのよい日曜日の午後であった。一方では。
 もう一方ではというと... 仮に、若夫婦を見つめるロッテリアの僕たちをさらに高い所から見つめる第三者がいたとして、彼らの目からすればもしかして、僕たち一家はマジックミラーの暗がり側から息を潜めて外を覗くある種どこか満たされない家族の様に写ったかもしれない。極端に考えると将来のストーカー予備軍のように、若い寝室を気にする老夫婦予備軍のように。最近、地下鉄に乗って予期せぬ若い女性の視線に合った時や、仕事上での歳下の敬語含有率が多くなる度に、こんな妄想的な気持ちにかられる自分が気になってしょうがない。皮膚にシミが出来る夢を見るように。
 雨の中、どこも春の気配と共に桜が満開になりつつある。市ヶ谷から飯田橋のJRの土手も千鳥ガ縁も桜・桜だ。意地悪な人も陰気な人も気まぐれな人も不安定な人もみんなビニールシートと酒盛りの季節である。毎年この季節になると心の診療所に出入りする友人がまた今年も入院した。見舞いに行くであろう僕も少々おかしい。
 PS. 昨晩は久々に雨の中をVITA夜行に出た。VITAのBBSでいつも貴重な情報を頂いているmichiさんの記述をふと思い出して、テールを流すようにコーナーを駆け抜けてみるも、流れてしまったのか、流れなかったのか僕のVITAのテール。鈍感な僕には何の事だかよく分からない。こんなに長く車に乗って何んの体得もない私の位置は... なんて意地はって何回もタイトなコーナーを探すが綺麗に流れるテールはどこにも見えない、感じない。最後にはサイドブレーキ思いっきり引いて、流れた、なんてやりたくなってしまった危ない雨の中でした。知らない事は知らないままで。

●名取さんのPOINT26 - OPEL CALIBRA Owners Page http://www3.justnet.ne.jp/~nnatori/


  

●1998年04月06日/月
 携帯よりもPHSの方がよっぽど役に立つ生活をしているかもしれない。事務所の中では来る人みんなASTELでもDDIでもNTTでも平気で通話しているし、外に出て表通りを歩いても、地下鉄のホームでも、地下街でもPHSだけで全然OKだ。自宅に帰る住宅街も曲がり角ごとの電柱にはちゃんとアンテナが設置されているし、自宅の寝室から直線距離13m先にはNTTパーソナルのアンテナが3本、50m先にはASTELのチッコイのが2本見える。自宅の全室(たいした数ないが)ホームアンテナ無しで事がたりる。ここ1年でのPHSのエリア拡大はCMどおりにすさまじく、携帯電話が遠のいて見える。
 最寄りの駅の商店街にあったスパゲティ屋がつぶれてその後に入ったのがコーヒー屋のドトール。ここの日曜日はいつもおばさん連中で混んでいて、3人分のいい席を確保するためにいつも無意識に早足になるみっともない男に化してしまう店だ。ここにはミルクレープというとんでもない贅沢なお菓子がある。薄くのばしたクレープの生地の間に生クリームが薄くひいてある。これがなんと17層にわたって重なっているのである。妻子はもちろんの事、僕も大ファンで毎回親子3人で大騒ぎしながら幸福を見せびらかして食べている。
 どこにいてもPHSで事が足りる集積した環境や、美味しい物が歩いて直ぐに手に入る環境で生活していると当然のごとくVITAの影が薄くなって来る。平日の環状6号線の内側なんかに入る必要性は地下鉄とJRがある限りまったく感じられないし、事務所近辺の駐車場の値段は毎月のVITAのローン支払額よりも高い。必然的に我がVITAは休日専用車となってしまい、平日は緑のエクステリアとしての役目をひたすら演じている。知らない間に寿司やピザ屋のランドマークにされているかもしれない動かないVITA。それもいいけど。
 この土日は実母のもとで花見をした。いままで母の家に行く時はいつもVITAで出かけている。電車を乗り継いで行くと1時間と少しで着ける。VITAで行っても空いていれば1時間と少し。タメだ。しかし問題は帰りである。関越自動車道が混んでいると3時間では帰ってこれなくなってしまう。昨日は春休み最後の日曜日。渋滞を予想して今回だけはVITAを置いて電車で行った。渋滞の予想は的中して、遠く車群連なる高速道路を横目にゆっくり座って電車で余裕で帰ってこれた。しかも浮いた時間でミルクレープも食べれた。そしてついに休日もVITAの出番はなくなってしまった。
 ミルクレープの層をフォークで数えて17層ある事を妻子がちゃんと確認して、誇大広告ではないドトールの潔白を証明した頃には僕のミルクレープは上からすでに11層目が胃の中に消えていた。妻とVITAの、自家用車の所有の必要性について話した。僕の場合、物も人も運ぶ必要性のない日常が98パーセント続いている。たまに走れば環境の問題も生まれるし、危険性もつきまとう。まつわる税金や支払もあるし運動不足のツケは大きい。去年9月25日納車で全走行距離2900km、この数字からも物理的な必要性は全くない。なのに僕は未だにVITAを自転車に変えないし、携帯電話をPHSに変えない。必要性がない物を所有する後ろめたさもないが、素うどん食っても車のローンに当てた若い頃とはたいぶ違う今日の生活の中でVITAはどう淘汰されていくだろうか。僕の価値観も随分と変化している。
 花見をして、VITAを置いて電車に乗って、車所有の必要性を話して、親子3人ドトールでミルクレープに細心の注意を払って春休みの締めくくりとした。本日帰宅後、娘から聞き出す新クラスの情報が楽しみである。娘は意外にもVITA所有にこだわっていなかった。

●右ハンドル輸入車のタイヤハウスのナゾ(OPEL-Vitaの場合)
 http://www.bekkoame.or.jp/~jh6bha/higa9712.html#971229
 しかし山本さんのエネルギーにはいつも感心してしまう。


  

●1998年04月08日/水
 昨夜のラーメン屋の話・その1
 事務所からJR駅へと向かう裏通りの飲食街の中に、どこにでもあるラーメン屋と麻雀屋と洋酒パブが埋もれている。地下に通じるパブの階段の前には雨の夜もミニスカートの女の子がいつも二人ペアで割引券の束を握って立っている。数年前まではかなり強引な客引きも見たが、最近はこれはと思うスケベ顔の通行人を見つけると何気なくにじり寄って、行く手を少しふさぐ程度の勧誘になっている。ここは毎晩の僕のスケベ度指数を試される裏通りでもある。パブと言ってももちろんイギリス風のパブなんかではぜんぜーんない。8時までに入店すると4000円ポッキリ、なんて踊る文字がきわどい女の子の写真の横に書いてある純日本流パブだ。だからなのか、表に出ている勧誘の女の子達を気づかう専属のお兄さんなんかもちゃんといて時々表に顔を出す。このお兄さん、ロンゲで茶パツ。いつもストライプの入った黒系のダボスーツ着用で首から上はキンキKIDSの髪の長い方に似ている。シルバーのヘンテコリンな指輪をしてよく働く。
 パブの隣のビルにはきたないラーメン屋がある。つめて25人位入れる客席にカウンターの中は常時3人。この店で僕はホイコーロ飯か焼きソバを80パーセント注文する。美味い。そしてもっと美味いのがカレーライス。残りの20パーセントはこのラーメン屋のカレーライスで通う。ここのよく煮込んだというか、必然的に慢性的に病原的に煮詰まってしまうカレーライスの巧さは知る人ぞ知る意外性を持つ。安い。天井から吊ってある危ないカラーテレビに映る東京ドームの芝生の色はいつもピンクで滲む。カウンターの中の調理人3人の日常会話はいつも競馬と車だ。だった。ところが先月一番若いのが突然SO-NETに入ったと言ってから少し話題がデジタル化している様子だ。(僕はちょうどその時居合わせて、可笑しくて)このラーメン屋の数階上にある麻雀屋と直通で繋がるインターホンからもかなりの注文が毎晩入る。汚れたビニールで覆われたインターホンの中の声は聞き取り難い言語とイントネーションで早口に話す。謎の男だ。僕は上の麻雀屋には行った事がない。麻雀は出来ないし、なんだか薄気味悪いから。
 長年ホイコーロ飯を食べ続けて解ったのだが、どうもこのラーメン屋と麻雀屋とパブの経営者は同じようだ。パブのお兄さんが時々麻雀屋から空いた皿などを引き上げて来るし、外に立つミニスカートの女の子もラーメン屋で飯を食べて代金を払わないで出ていったりするからだ。昨晩いつものように僕が焼きソバを食べているとパブのお兄さんがブラッと入って来てカウンターの端に座った。調理人との雑談が始まりキャスターに火を付ける。最初から車の話だった。表には速そうな新しいスカイラインが停まっている。
 いつものように僕は焼きソバを食べながら聞き流している。しかし昨晩に限っては、タバコ2本分位続いた車の雑談の中でひときわ突出して聞こえてしまった言葉があった。先月SO-NETに入った若い調理人がパブのお兄さんになにげなく言った。VITAなんて女の乗る車でしょ。
つづく。


  

●1998年04月10日/金
 昨夜のラーメン屋の話・その2
 ワインの裏側に貼ってあるラベルによく、辛口・やや辛口・普通・やや甘口・甘口、なんて帯がある。ワインの銘柄に疎い僕はこういう裏の表示でしか選択しようがないのでいつも「やや辛口」を選んで帰る。例えば、女らしい女・やや女らしい女・???・やや男らしい男・男らしい男、なんてラベルがVITAのパンフレットの裏表紙にくっついていたら、いったいどのあたりにマークが入いるのだろうか、という類の事を考えさせられる一言、VITAなんて女の乗る車でしょ、だった。VITAのメカニズムに居住性にスタイリングに色に思想に価格に、総合芸術(こう表現した方が過去にいらした)に絆されて注文を出してしまうタイプの人間って、どの程度のホルモンのバランスを体内に持っている男女なのかしら。少なくても両端の、女らしい女・男らしい男が運転するVITAを、僕はこれまであちらこちらでお見かけした覚えがない、気がする。Y子ちゃん風に言うと、超マジでー。
 雑談を聞いていると、表に停まる新しいスカイラインの持ち主はSO-NETの若い調理人で、パブのお兄さんはどうもドイツ車に乗っているらしい。車種は分からないがVITAではない事は確かだ。どこがそんなに気にくわないのかSO-NETはVITAをとことんけなす。踏んづけて崖から落としても気が済まない位に言う。あんな車買うんならマーチの方が数倍いいような事まで言い放ち、パブのお兄さんの同意を促している。確かにGTRのような手つきで焼きソバを振るSO-NETの下半身は50kgmの最大トルクを優に発揮しそうなエネルギーに満ち溢れているようにも見える。SO-NETはきっと夜に自信を取り戻すタイプの男なのかもしれない。僕には関係ないけれど。
 外で勧誘していたミニスカートの女の子二人が入って来た。食事の休憩時間らしい、ご苦労様でーす、なんて語尾を伸ばして変容するカウンター内のSO-NET。バカかおまえ、と僕の心の声。そしてなんとなんと、パブのお兄さんの横に座った女の子に突然、Y子ちゃん、VITAの調子どーお?、なんて激変の台詞を吐いた。郷ひろみとは違うアドレナリンが僕の全身を駆けめぐる。VITAを近頃新規購入したとこれで判明してしまったY子ちゃんは、まだあんまし乗ってないしー、なんて疲れた足をカウンターの下でブラブラさせながら応えている。我が自宅の駐車場で律儀に待つVITAにとっても、もちろん僕にとっても許し難い、我慢しがたいラーメン屋の沸騰店内である。
 僕がちゃんと焼きソバの代金を払って店を出る時、若き下半身の調理人SO-NETは何やらY子ちゃんに渡している。汚ねえ紙切れに書かれたメールアドレスの@マーク周辺を声に出して教えるSO-NET。隣のK子ちゃんもどれどれと身を寄せて、私も昔からNIFTYのIDを持っているとか話している。
 僕はレジの側でしっかり聞き逃さなかった。差出人不明のメール爆弾の用意を頭に描きながら、SO-NETのスカイラインの上の美しい鳩の糞を横目で見て事務所に戻った。プロバイダーSo-netはFrom: Nobadyの怨念メールを受け付けてくれるだろうか。しかしそれはそれとして、VITAに乗っていると偶然知ってしまったY子ちゃんの立つ裏通りがこれから非常に恐い。


  

●1998年04月14日/火
 先日の日曜日もVITAを置いて外出してしまった。新宿のデパートに効率的にたどり着くには電車が一番なのだ。休日昼過ぎの伊勢丹や小田急デパートの駐車場に入れるだけでヘタをすると小1時間待たなくてはならない非生産的行為の代償を無意識に求める家族を力で制する事は、残された有限の短い人生をより面倒にする成因をまた一つ増やす結果になるのだ。家庭の中での個々のライフスタイルの過ぎた行使は頼もしい家主の勢威としての映像を見ることなく破壊へのエネルギーとして寝室の床に蓄積されていくのである。いっそVITAが乗り物ではなく、娘が持ち歩くピカチューのマスコットのように小さく軽く誰にも気付かれなない暗黒のポケットの中で棲息する、愛撫される生き物であってくれればいいのにと思うのである。仮に本物のVITAを駐車場に常に残し、その分身として虚像としてのミニチュアVITAを位牌の様に鞄に入れて持ち歩くとすれば、僕はそれでも車が好き、VITAが好きと陽が当たっている場所で陽に向かって堂々と叫び断言できるだろうか。出来る訳ねえだろうがバカ、とやっぱり思うのである。しかし。
 先週ある所である友人と飲んだ席で、必要性がない物を所有する罪のお話を懺悔風に聞いてもらったら、その友人が笑いながらお情けでくれた答えのキーワードは、文化。絵画や音楽や文学や演劇に代表される文化には生きていく水とパンほどの必要性はもちろん無い。でも文化包丁でも文化乾しでもない文化はとっても偉い。文化は文化的にすでに偉い。こう気が付いた時、乗らないVITA、駐車場でひたすらStatueと化すVITAは僕の中で突然、文化となってしまった。
 という事で、僕はもうVITAに乗らない日がいくら続いても全然OKなのだ。乗らなくても触れなくても想像するだけでいいのだ。何も後ろめたい事はないのである。オドメーターの数字が回転しなくても、マフラーカッターに小鳥の巣が出来てしまっても、文化としてのVITAを維持する限り、乗らない動かないVITAは永遠に僕の中で正当化され、僕は朝餉のみそ汁とピンクのランドセルと不問の異性に飼い慣らされるのである。本来ならば。
 以上の事柄を背中と心中に背負って断腸の決断をもって電車で繰り出した新宿は小田急デパート。妻に連れて行かれたリキテンスタイン展の最終日は文化そのものと文化を見に大枚900円はたいた人達で溢れている。壁に掛かったたくさんの網点を凝結のごとく視するとその向こうに見えてくるのは偉大なる文化の拡がりではなく、愛すべきVITAの後ろ姿であった。リキテンスタインの網点って、VITAのリアウインドの網点と非常に良く似ていませんか。


  

●1998年04月17日/金
 標準価格10万円の仕事があったとして。それが13万円だったら美味しい美味しいと声に出してやって、7万円だと文句タラタラふてくされて、でもしかたなくやって。僕も含めただいたいが今の不景気の中こんな感じだと思う。しかし世の中にはとんでもない常識外のヤツが結構いたりする。甘い言葉と懇願の形相をもって3万・4万円で人にやらせて、それを20万・30万円で平気でさらに上に請求したりする。こういう人達、大胆に中を抜く事が出来る人達。こんなタイプの人達までもが最近VITAに乗りはじめている。なんだか以前とは違ったVITA選択人の変化を最近感じている。これも経済の変化なのだろうか。
 ここのところやたらに街道のVITAが目についてしょうがない。月間登録車の最新の数は知る由もないが、僕の知らない何処かの地中で、知らない増殖や繁殖が行われているかのごとくVITAが地上にあふれ出しているようで少し気持ち悪い位だ。既存の平衡を崩すように、僕の周りでも予期せぬ人が予期せぬ車を買うようにVITAを選択し始めていて、どうぞ一過性の現象でありますようにと心の底で祈願しながらヤナセのショールームの横を通り過ぎたりしている。まだ一度しか見ていないが、新しいカラーのTVCMも何かの転機になっているのかもしれない。しかし僕の狭い行動範囲の中だけの小さな現象かもしれないが。
 もちろん誰がVITAをどれだけ買おうとまるっきり自由の国でのお話。僕なんか超若輩者が偉そうに言う筋合いのものではない。それに僕自身だってたかだか数ヶ月前にVITAを手にした新参者だ。しかし人に、VITAはどうですか? と聞かれる度になぜかPOLOを薦めてきた貧しい性格の僕としては、どうしてもあの人にだけはVITAに乗ってほしくなかった人、出来ればVITAの話題だけは避けたかった人というのが20人に1人位の確率でいるのである。
 昨夜の小さな仕事の打合わせの席、KさんがVITAを購入した事実をTさんから偶然聞いて、どうしてあの人が? なんて心の奥で叫んでしまった僕は、どうしてあの愛妻家の郷ひろみが? と狂喜するおばさんを地下鉄のホームで見かけた記憶を脳裏の横に置きつつも、春の珍事としてはどうも片づけられない沈潜の思いに深くかられたのでした。Kさんは昔から3万を平気で30万円にする故買屋みたいな人で、僕の一番嫌いなタイプの男でもあり、しかし何故か気になる複雑な、僕から見た二重人格のお人なのである。しかも確かホンダ・インポパイアじゃなくてインスパイアからの乗り換えで、ますますもって難しい理解に苦しむ現象なのである。
 そのKさんがもしかしたら今日、僕の事務所に来る予定有りで、なんだか朝から落ち着きがなく、僕がVITAに乗っている事を確か知っているはずだと薄い確信を持つと余計沈下する精神は加速して、どう転んでもいかにしてVITAを購入したかの話題への流れは避けられそうもなく、入口のドアが誰かにノックされる度に、利得が100dbはあろう巨大なパラボラアンテナに背後から心臓を照射されるがごとく気分にさらされるのである。
 実際の話、VITAって売れてるみたいね。最近マグマレッドのGLSが欲しくてしょうがない。


  

●1998年04月21日/火
 何でも遠目で見るのが好きみたい。と言うのも好きみたい。以前通っていた歯医者の奥の部屋からはいつもピアノのCDが薄く流れていて、白い壁を伝わって来る間接的な遠い音が好きだったし.... 関係ないか。遠目に見るVITAも好きである。食事を摂りながらファミレスの大きな窓越しにパーキングに在るVITAを見たり、高層マンションの手すりから下に停めたVITAを見下ろしたりする事が大好きである。見る射角によってVITAの幅と長さの比率に新しい発見を感じるようになると、危ないストーカーの現像室のように、秘密を抱えて死んでいく喜びを得た老人のように、自分だけの閉ざされた世界で充分に生きて行けそうになる自信がついてしまうようだ。危ネエ危ネエ、人生取り返しがつかなくなりそうだ。
 14年振りに近くのアスレチック・クラブに入会した。昔に比べて入会金や月会費がべらぼうに安くなって変な特権階級の意識がなくなっている。その分、サウナやプールの脇のリクライニング・チェアでくつろぐヤングエグゼクティブがいなくなってしまった。気持ち悪い程泳ぎ易いプールの南側のほとんどがガラス貼りになっていて植木の隙間からクラブの駐車場が見えるようになっている。プールの脇には大きなジャグジーが二つもあり、吹き出す泡と滝のように落ちる湯に浸かりながらも駐車場のVITAを眺める事が出来る。これってもしかして贅沢という意味を飛び越える程に贅沢かもしれないと気付く。発展途上国の高層ホテルから遠くまで広がるくたびれたアジアの民家を見下した昔の奢れた記憶が蘇る。これでもし、クロールの呼吸の度に「く」の字に上げる腕の間からも駐車場のVITAを垣間見れる建築になっていれば最高の贅沢である。しかしそのリスクとして、1mmでも先の水を捕まえようとする前向きな渇望的な泳ぎの実現は難しいだろうが。こんなの当座の健康に必要ないか。
 階上のアスレチック・ジムの積極的な人達の中に混じって一人で反抗的に足モミしてたらみんなが笑っているようだ。でも誰も僕なんか見ていない。鏡に写る自分に反応してどうする。なんで素直に画面の中のストレッチを参照出来ないかナー、自意識過剰のナルちゃんかナー。階下のサウナは腹の出たオヤジ達でいっぱいで、階上のジムは整備された若者達でいっぱいだ。自分の肉体の置き場所にとっても困る。脂肪と筋肉。カルテを作って今流行りの体脂肪率を計ってくれるというが95パーセントなんて言われたらどうしようかとマジに思う。
 せっせこ運動しながら駐車場を気にしているのは僕だけではないようだ。隣の中年の夫婦は明らかに車の話をしながら回るベルトの上を長時間に渡って飽きもせずに走っている。メルセデスの話題はブランド着で固める彼らには相性が良すぎる程マッチしているし、ついでに口にしたメルセデスの横のVITAの話題は彼らが彼らで在る為にかかせない物腰と媚薬を充分に彼らと彼らの夜に提供しているようだった。そのVITAは俺のなんだけどなー。このご夫婦、VITAの中じゃ出来ないかもね。
 正面を10度程はずして遠目に見えるVITA。所有してからでないとなかなか気付かない美点。ヘッドライトの上にまつわるボンネットの微妙なカーブ。他言したくなかった抱えて死ねる秘密のカーブ。これがなくてもVITAを買えたが、実はこれがあるからVITAを売れない。僕、私、俺。(このカーブ、デザイン以外に何かに役立つのかしら?)


  

●1998年04月24日/金
 新規入会したスポーツクラブのジムの一角にはすごいのがいた。ウエート・リフティングっていうんですか、とんでもない人達だ。原始時代のお金のような鉄の円板には20kgとか書いてあって、それを一つづつ左右に増やしては楽しんでいる。増やす度に心底ニコニコしながら背骨をさする。左右に3つづつ付けて合計120kgをヒョコヒョコもち上げる人達。肩幅なんてもうVITAの横幅くらいある。たぶんタイヤ交換にジャッキUPなんて必要ないだろうと思う。彼らの辞書とトランクルームにはジャッキなんて無粋な言葉や道具はきっとない。片手で少し持ち上げればオイル交換だってちゃんと下から抜けそうだ。しかもみなさんハンサムで電気系統も弱そうになんか見えない。少なくても僕よりは頭も体も顔もすぐれ者、しかも重たい物は何だって持ってくれる。僕が女なら付き合うのは絶対に彼らだ。身を任せる完全な快感。だだし優しくね。
 サウナにはもっとすごいのがいる。身長は182cm前後、体重は100kg位のまあ大男。しかしこれだけならまあまあそこらにいるけれど、なにがすごいかって、全身フサフサの毛で覆われていて、暗いサウナの中では完璧に肌が見えない。かろうじて肌が露出する首の付け根と手首と足首でやっと人間である事が分かるようだ。しかもご両親揃って熊のような彼がサウナの中で異常な動作をする。文章にすると難しいのだが、右足1本で立って、左足を「く」の字に前で曲げて、曲げた左の足裏を、右手の人差し指でチョンと触る。何なんだ? しかも、チョンと触る瞬間「シュ」とかいう意味不明の音まで出す。そして同じ動作を左右逆にして、右足の裏を左手の人差し指でチョンと触れて、また「シュ」と声を放つ。この動作は連続して永遠とためらいもなく続けられる。初めての僕は笑いたい。しかし何故か笑えない雰囲気がここには漂う。彼のアゴの先端に集中した汗が表面張力をともなって木の床に乾いた音と共に落ちる。他の客は何事もないように彼の存在を許している。サウナの狭く暗い熱気の中で大きな黒影が放つ「シュ」「シュ」だけが異様に響き渡る。彼の日常の陰と陽が交差する檻のようなサウナの中で、熊に食べられる順番を運命的に受け入れた小動物のように男どもはひたすら汗を流して寡黙にいる。音もなく滑る秒針を見つめて、もしかして、これってシュールですか? なんて隣に確かめたくなる巣窟サウナなのだ。
 駅前商店街に立地するスポーツクラブには毎夜、ストレスに疲れた男女が足早に出入りする。僕も立派にその一人となってしまったが。ローカル電車が着く度にその何割かがベルトコンベアー状に建物へと吸い込まれていく。クラブの下水道にはそれぞれの昼間の混沌の決着が汗となって、怨念の重水となって、心の排泄物のごとく流れこんでいくようだ。何だか運動後の軽い爽快感に反して悲哀でせつない気持ちにもかられる。
 クラブの路地で待っていた茶色のデミオのドアが小さく開いて、大きい男が乗り込もうとしている。助手席の方に少し車体が傾いたようだ。奥さんが運動の終わる亭主を迎えに来たらしい。男の体は大きく、デミオのヘッドクリアランスは少ない。室内灯が点灯して一瞬、もしかしたらサウナの熊男かと思った。確かではない。リアシートには小学校高学年程の女の子がいる。彼女が後ろからお父さんに何かのボトルを渡している。大男は本当に美味そうに飲み、デミオはウインカーの点滅に合わせて回転を上げて行った。サウナでの熊男の行を責める男はいないだろう。必要にして創られたスポーツクラブの後は自宅で待つVITAの姿が特に綺麗だ。


  

●1998年04月28日/火
 明日は今日よりもっと楽しい、明後日は明日よりもっと楽しい。呪文のように口走りながら生きている友人がいるんだけどなー。いつも酒を飲む度にそう言うから、本当にそう思っているの? 無理してないの? と猜疑心むき出しでたずねるも、いつも、本当にそう思って暮らしているけど、と言うから、そうなんでしょうきっと。中学生になる微妙な年齢の彼の子供もさぞかし大変な青春を送っているのだろうなー、と内心同情するが。僕はというと、ますますそういう生き方から遠ざかるように暮らしている昨今なので、娘の算数の成績が落ちつつある状態を横目で見ながら、今夜も街道脇のVITAの中でひたすらボーとしている日々を送る。しかし、通うスポーツクラブの廊下で交わされるご年輩どうしの会話、いつもビシッとちゃんとしてらっしゃって、いつまでもお若くて....、イヤイヤイヤそういうあなたこそ.... が耳の奥に残ると、だらしない毎日を蔑むように肉体を酷使して毎日が行き場のない筋肉痛だ。ジムで上半身をやりすぎて、VITAのステアリングを握るのにも支障をきたす程の負荷を両腕に与えて、マウスを動かす度に行き過ぎた筋が悲鳴を上げる状態。何事にもヒストイックになりたくて実はなりきれない季節かもしれません。
 昔感じすぎたランニング・ハイを求めて、お気に入りのNIKEのジョギングシューズだけを見つめながら、体をいじめるように走り込みたいと時々思う。それに近い感覚で、VITAと共にとことん走り込みたいとも思う。連休は。行き着く目標なしにただひたすら国道を走り通す強い動機があって、それを家族にさらけだす強引があればきっと今度の連休は違ったものになるだろうなー、などとバスの外のVITAを見ながら思う。仕事の帰り道、普段と違ったルートでのバスを使った。料金210円均一は変だけれど。窓の下を2台のVITAが縦走して行く。アップルグリーンとスターシルバーだ。共にウインカーを出して右折路線へと進入していく双子のような動作を見ると明らかに関係のある2台だと分かる。2人ともドライバーは女性。歳はちょっと暗くて不明だが後ろのGLSの方が横顔のシルエットの感じがいい。新青梅街道を目白に向かって勢い良く右折していった。子供を産んだ女性なのか、算数の成績は良かった女性なのか、明日は今日よりもっと楽しいタイプの女性なのか? すべて不明の女性ドライバー2人が行く。いずれにしてもVITA1台にドライバー1人だけの乗車だ。助手席に男性はいない。これが走り込みの基本型じゃないかと思う。まだ遅くない夜に入りたての時間、基本型の彼女達はVITAと男をどのように区別しているのだろうか。興味がある、もしかしてVITAよりもある。
 行き場のないエネルギーを発散するヒストイックな運動人達を特に週末のスポーツクラブに感じる。それに近い感覚を週末の深夜の一人乗りのドライバーにも感じる。エキゾーストが加速の度にボコボコいう程に、低く降ろしすぎた車体が踏切をかする程にそれを強く感じる。金曜日の夜の9時にジムの片隅で黙々とバーベルを上げるお兄さんや、土曜日の午前0時にGTRのケツをなんでもない国道で一人で振らすお兄さん達のエネルギーは一見悲しく見えるけれど、実はかなり筋が通っていてカッコイイと思う。



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