●1999年03月04日/木
 ダンゴ3兄弟とひなのちゃんの新着ネタに快くついて行けない僕も、これは絶対インフルエンザかもしれない正体不明の細菌に犯され続け、それでも毎日ヒイヒイ言いながら仕事だけは続けている我が勇姿を地下鉄の黒い窓の中に見ちゃったりすると、大昔の男の美学が甦るような顔つきをしているから、嫌いだよおまえ。痛みや苦しみを抱えながら鏡の中にニカッっと銀歯をさらす愛しい自分をどう思いますか? どうも思わねえよ。義理がこじれてドスかなんかで刺されてバタッと死ぬ瞬間に、世話になったなオマエ、なんて意気な一言吐けますか? どういう関係があるんだよ。とにかくそれどころではない超インフルエンザ状態だ。
 体調がすこぶる悪いからVITA夜行にも出れず、インターネットにそのハケグチを求めて放浪すると、そこに現れたのは九州は大分周辺のとあるOPELオーナーズの集い。夜な夜な美酒の力をかりて集い交わるOPEL軍団のお姿は深夜の僕に何故かエネルギーを与えてくれる。お会いした事もない、お話しした事もない人達が、まったく知らない場所で、時と空間を越えてマイクを握る画像が、軽い重力に逆らいながらブラウザ上に浮かび上がる様を一心に見入っている僕はきっと危ない、くたびれ切ったお人なのかもしれない。
 僕がたまたまVITAを選んで、たまたまこんなアホ日記を書き続けているから、これをたまたま見た人がお便りをくれて、たまたま知った見ず知らずのHP。こんなタマタマづくしの環境に毎度救われる僕の鄙びた精神力はいつになったら成就するのか定かではないが、少なくても毎週1回きちんと歯医者にいくようにVITAに乗って、VITA周辺、OPEL周辺の人達と関わっていさえすれば、間違った方向へ流されるような事にはならないなどと考えている僕の頭はやっぱりインフルエンザに犯されているのかもしれない。
 でも車に乗るっていう行為って、案外バカに出来なくて、ハンドルをきる加減によって、ブレーキをかける程度によって、知らず知らずのうちに社会の規則の中に溶け込んでいく自分を見るようでなんだか可笑しくてならない。ここは左にしか曲がれないよ、っていう標識を見るとつい右に曲がってみたくなる初歩のロケンローラー的発想も既に僕にはなくなってしまったし、こうもインフルエンザに好かれてしまうと医者からもらった抗生物質にもついに飼い慣らされて、品行方正、活発明瞭の血を武器に、事務所の近くにたむろする新入社員の研修の紺色の列にも並びたくなってしまう私を感じるのである。
 とにかくこの長引くインフルエンザが明けたら真っ先にVITAに乗って、飼い慣らされたように青梅街道を疾走する僕の姿を、春から東京に来る、春から東京で将来を夢見る若いみんなに見せつけてやるんだ、なんて意味のないバカな日記を毎度さらしているから読んでくれる人もその内いなくなるのでしょうが。せめて熱だけでも引いてくれればなー。
  
●「大分で見つけた綺麗なお姉さんのページ」
 というタイトルの中に潜むOPELのOFF会らしき酒宴
 http://www.coara.or.jp/~mitihiro/onee/


   ●1999年03月08日/月
 ついに根城の杉並区にもケーブルテレビがやって来た。いやいや、ケーブルテレビは随分前からあったけど、今回ついに、それにインターネットが合体したのだ。そして、な・なんとその速さは最大8Mbps、事務所のイーサネットと同じなんですよ、これが。近所の娘がらみで知り合いのデジタルご夫婦が早速加入されて昨日の日曜日に工事とのお話。僕にも声をかけて下さって見学。ちょっと大袈裟な配線工事だったけど、そんな事はどうでもよい。とにかく速い、速すぎる。「インターネットで一番大切な事は何だと思います? お客さん。スピードなんかじゃありませんぜ、コンテンツでっせ、コンテンツ!」なんていきがってたチンケなHP屋のはしくれ、すなわち私がバカでした。失礼しました、それはスピードでした。
 まだサービス開始まもなくで加入者数が延びてないせいもあるのだろうが、なんせ悪魔の囁きに近い8Mbpsだ。自機内ハードディスクへのアクセスよりも速い。キャッシュを読むより速い。マジである。使用中のマシンの中で必死こえて回る自分のハードディスクの円盤にアクセスするよりも、地球の裏側にあるサーバーからデータを引っ張って来る方がなんと速いのである。(と本当に感じる)これはどういう事かというとですね、データのバックアップもアプリケーションのインストールも別に自分のハードディスクに貯めて置く必要がまったくないという事だ、ヒェー。大事なデータを地震など起きない異国にも簡単にFTPする事ができる。なんとビル・ゲイツが過去に予言した通りなのだ。しかもその代金、24時間常時接続で月額6500円である。
 こんな大事件が昨日は日曜日の午前中にあったものだから、午後の僕の頭はウツラウツラ… 何をしてもインターネットが頭から離れない。いつものサンドイッチ屋にVITAで繰り出しても、娘と妻との会話は上の空。雨の中のVITAのハンドルも危なくてしょうがない。どうも集中力にかけて信号が青に変わってもなかなか気付かない。背後からのクラクションで飛び出すと右折のアコードにぶつかりそうになって前からも大きなクラクション。
 URLを入れてリターンKEYを押すと瞬時にしてコンテンツが現れる。インターネットってバックボーンなんて関係ないジャン。末端のスピードが速けりゃ速いんじゃん。あんなに考えて作ったGIFのインターレースやプログレッシブJPEGはいったいどうしてくれるの? お母さん。しかし時間が経って今、冷静に考えると何だか悲し過ぎなくもない。いつだったかプリウスのボンネットを初めて開けた時の記憶に似ている。ワクワクもするんだけど、何故か悲しくもある。俺、ガソリンなくなってもVITAでいいや。なんて事も思う。


   ●1999年03月16日/火
 こんな事を書いて妻がどこかで読んだらどうしようと躊躇する僕の顔が明らかに、大丈夫でしょ、と笑っているのでまあいいや。僕の妻は根っからの放任女子にてその懐かしい幼少期も実に甘味的に育ったらしく、その甘いツケをご自慢の歯にしっかり今も払いつつ、この世紀末を僕と幸せに暮らしているのである。きっとね。とにかく彼女は歯医者が趣味でして、1週間に2度の歯医者通いを、何と5年も続けている超が付く程の歯医者の達人なのだ。その5年間に歯医者に落とした総額たるや聞けば涙の物語で、そんな事はとっても恥ずかしくて口に出せない位の大金なのだが。
 やっと5年間に渡る彼女の長き治療も終焉を迎え、ホッと内心、財布と胸をなで下ろす僕を後目に、先月、最後のダメ押しで、就寝時の歯ぎしり防止用マウスピースなるものをご親切なその歯医者さんから頂いて帰宅した。もちろんこのマウスピース、有料である。僕はボクシングの選手が付けるマウスピースを頭に描いていたのですが、よーく見ると何やらフライフィッシングの疑似餌のようにプヨプヨしていてあまり気持ちのいいものではない。そのマウスピースをしっかり装着して満喫した寝顔でベットに横たわる妻を眺めつつ、娘と寝ぎわに交わす夜の至福の話題はなぜか世紀末の悲観論に突き進むのは何故だろう? ちなみに寝返りを打ったりすると、その美しいマウスピースはいとも簡単に外れちゃったりするのである。あー世紀末。
 その愛しい妻の父親と姉親子をVITAに乗せて自宅へと送り届ける深夜の僕の奥歯数本も先週から何やらうずき始め、ここ数日の食事のほとんどが離乳食状態だ。固い物がまったく食べられない。VITAのブレーキを強く踏んで奥歯にちょっと力を入れたりするだけでズキンと来るからなるべく早く減速する。すると赤信号手前で後ろの車に突然抜かれたりするからかなり恐い。その上、抜いて前に出た車のサイドミラーには凸になった運転者の優しい目が写っていたりして、何トロトロ走ってんだよアホ、なんてみんなで我が小さいVITAを威嚇しているようで余計な力がまた奥歯にかかるのである。
 こんな悪循環の痛みを抱えて一昨晩はヤケになって深夜の新青梅街道から環状8号線に軽くホイルスピンをかましながらフル乗車で抜けると、小さい可愛いVITAがフワフワパタパタのダンパーの力を借りて上下左右に揺れている。運転する僕は結構気持ちがいい。しかし、進路変更をかけても、細い道に入っても、VITAのスピードをなかなか落とさない僕に対する同乗者の不安は楽しい会話をついになくし、ふと見ると大人たちはみんな僕のブレーキングに合わせて自らの右足を狭い車内の中で力強く突っ張っているのである。
 右足を狂いなく同期させる無口な異様集団を乗せた闇夜のVITAの中で、奥歯数本にもおよぶウズキに耐えながら、ただひたすらに無抵抗に流され歳を重ねる夫婦、僕らの肖像のようなマウスピースが、環状8号線上の光束の中、世紀末のフロントガラスに映り込んで消えなかった一昨日の記憶が悲しいのです。


   ●1999年03月23日/火
 連休は富士山の麓にまたもや雪の中を走った。今回は5人乗車。寒い、狭い、重たい。外気温0度の電光掲示板が何度も遠ざかる。動きがトロい暖かいVITAの中でマロングラッセほうばりながら富士山は絶景・雄大だとみんな口を揃えて肥ったように言っている。さすが日本一の山。うーん、どうなんでしょうかね? 気持ちはわかるけど。フロントガラスの先には確かに巨大な不動の山がいる。でも僕はねー正直に言うと「富士山を見ると日本国を意識するのは何故だろうね、なんて超つまらぬ事をVITAの中でしてみたくなるのは何故だろう」なんてあの大きな土の盛り上がりを見てふと思うだけだった。なんとなく心が洗われるなんてうざったいし、大きいだけでアルプスみたいに鋭角で危険な感じが全然しないし。
 7割程度が雪の白に覆われていて、その頂きが、ガスのような雲のような煙のような白い気体に蒸されている感じ。その日本国の象徴のような役割を担う山にはみんなが賛美するような迫力が本当にあるのだろうかと懐疑心スレスレの感覚がこのサービスエリアには漂っている気がしてならない、なんて事はまったくない程に食堂は混んでいる足柄サービスエリアの16時17分。あの風呂屋の壁画のような富士山削って東京湾埋め立てたら、千葉と神奈川と東京がもっと便利に使えるんじゃないかしら的な会話がここでは春夏秋冬言い尽くされて来たような役割を果たすはずのサービスエリアの中でほとんどの人がほとんど富士山に関心なく足早に目前を通り過ぎる16時28分。もう少しで暗くなるぞ、と予感すると結構ゾクゾクした。
 こんな大山の絶対的な支配下にあるサービスエリアの中にある建物の中で、食って排泄して、おまけに簡易ベットで寝腐って、ほのかに復活してトラフィックに飛び出していく大型トラックの男性達を狭いVITAの中から順次見ていると、ちっぽけな人の生活とか一生とかが早すぎる程に早く感じられて、ビックリする位に日常波の客観的彼方に一気に遠ざかる自分にあまりにも驚いてしまうのである。
 VITAを共にする家族一族はまだお土産屋さんの中で幸せそうに徘徊している。楊枝が立つ試食の饅頭を食べる娘の隠せない笑顔が遠くに見える。食堂の隣のスナックコーナーで買ってきたバニラとメロンのミックスソフトクリームをなめながら一人でVITAの中に座る。メロンと言うからには緑を想像していたのに機械から出てきたソフトは夕張のオレンジ色。なんか損した感じ。もう少しで暗くなるだろう富士山をずーっと見ていたら目が痛くなってしまった。
 戻って来た妻子が、何をボーッとしてんの、と聞くから「かといって富士山になれるかと言われたら、やっぱり僕はなれないんだけどね」なんて訳の分からない答えを返そうかと思ったけれど、ぜーんぜん物思い人の姿は僕には似合わないから富士山を諦めてエンジンをかけて、僕も勢い良くトラフィックに飛び出す。せっかくの意に反して帰途の東名は25kmの渋滞。
  


   ●1999年03月30日/火
 愛する杉並区にもいよいよ待ちに待った「地域振興券」の季節がやって来ました。ウレ!。僕の家庭は残念ながら子供が一人。こんなんだったらもっと作っておけば良かった、なんてVITAの中で口走ったらリアシートの娘は何も聞かぬ顔の様子。子供が対象の金券だから子供の自由になるお金でしょ、これ?、なんて勝手に解釈される前に黙って使ってしまおうと密かに企てる。どうしようかな・・・考えていたら何とファミレスのジョナサンがやってくれました。とっても偉〜い、特別出血大企画。地域振興券で食事をすると次回の食事が半額になるというありがた〜いサービス券の発行。我が家は3人家族。このご時勢ですよ、セコく細かく使おうではないか計画を立案。その計画は、3000円台の食事をなんと期間中に6回もする。すると次回半額券が6枚で、要するに未来の食事が3回分タダになるという計算だ。マジにセコくて恥ずかしいけど。
 先日の日曜日の夜、その記念すべきお恥ずかしい小庶民計画の第1回目を実行した。底辺の行動である。おもむろに杉並区内の某ジョナサンへとVITAを走らせる。なんせ政府公認のタダ飯作戦である。VITAの中はいつとなく明るい。娘にいたっては、いつも食べられぬメニューを嬉しそうに口走っている。ルンルンVITAで角を曲がるとフロントガラスの向こうには長蛇の縦列駐車のチカチカハザード。アレアレヒレハレだ。ジョナサンの満車の駐車場に入れない車が新青梅街道の路肩に溢れていた。
 しかしみんな考える事は同じなんだなー、と思う。しかも日曜日の夜、他のファミレスなんてガラガラ空きなのに、ここジョナサンだけが大変な事になっている。人の活気で異常にテンションが高い。深夜のデズニーランドみたいだ。当然のようにレジでは日本国紙幣など出す客はいない。明らかにその家々で経済の実権を握るのであろうお母さんかお父さんが、おもむろにその懐から例の地域振興券の束をドカっとカウンターの上に出すのである。チョロっと指をなめてから枚数を数える仕草に家族全員が固唾を飲んでいる。おかしくて。しかも釣り銭がもらえないからみんな4060円とか5070円とかのギリギリの線をしっかり計算して食べているんだもんね。人の事言えないけど。
 帰りの駐車場ではエスティマやらラウムやらオデッセイがやけに多い。そういえば若い男女のカップルがいない。車内では室内灯がつき子供たちがジョナサンの次回半額券を回し見ている様子が楽しそうだ。我がVITAの中でも妻がもらった半額券を僕と娘がじっと光に透かして確かめたりして、まだ余っている振興券の残高と次回の食事のかね合いを相談したりしている。一歩引いて天空からこの駐車場を見れば何だか少しばかり悲哀漂う光景だけど、今の僕の現況って、こんなもんかな、とも思う。北朝鮮の不審船を狙った機銃弾光の映像も、都知事選候補達の討論会の映像もすっかり忘れさせてくれる日曜日の地域振興券。キーを差し込むとVITA始動のエンジン音がやけに軽くプルルンと回る。


   ●1999年04月03日/土
 春になると自殺の件数が急に増えると朝のテレビは言っていたけれど・・・何だか解ります気分。考えてみると今までだって大した事なかったけれど、この先だってろくに大した楽しい事なんてないだろうし、人間は何の為に生きているのか? なんて感じ始めたら危ない橋を渡る自分が見え隠れするようだし。「じゃあ、早く死ねば」って一生懸命生きてるって自称する元気そうに見える人達からは罵られそうだから、なるべく打合せなどでは適当に話題を合わせて、どうも〜、そうなんだー、っていう言葉の断片みたいな浮遊物を必ずどこかに挿入するように会話する。そうするとハナっから持ち合わせのない黄色い熱血精神の露呈をごまかせるし、キチンとした大人の作法っうんですか、そんなものも保たれそうに見えるから不思議よね。と、さっき事務所の下に「黒ネコヤマト」が駐車していて、車体にドライバーの名前が入った本人が、ビルに出入りする人達一人一人に向かって、ご苦労様です、お疲れ様でーす、なんてキチンと言いながらも荷物を仕分ける手を休めない姿を横目で確認した瞬間に思った。筋肉質。
 こんな不安定な気持ちを引きずる僕が運転するVITAに、昨夜、友人が乗り込んで来て、VITAをとても誉めてくれるもんだから、いい気になって、「車っていう羊水に包まれたような空間によって、今までの僕はどれだけ癒されて来たか解らないよ・・・」「フロントガラスを通して見る外界は裸眼で触れる外界とはまるっきり違く写るからね・・・・」なんて偉そうに、笑っちゃうような口調で、あたかも分かったように、今までもこの日記に書いて来たような、自己中心的かつきわめて抽象的からほど遠い主観的な、もしかして実体や実感のない、いい加減な、無責任な言い回しが何とまあスラスラと口から出てきたもんだ。「じゃあ、早く死ねば」って言われたくないために、いかにも10の現象から100を得るような敏感な感性を演出している諦めの悪いオジサンなのかしらネ、僕?、私。結局。
 桜の花は人を狂わすと言うけれど、桜の枝の下などをVITAでくぐりぬけたりする度に、わー綺麗だー、なんて歓声を上げるのはとても素直で率直でいい事なのよ、と教えられた母や先生に感謝する舌も乾かぬ内に、フロントガラスのかなり先方に見える赤信号の鮮やかな赤や、黄色い電車の残像流れる踏切のかん高い音にゾクゾクするのは何故かしらね。VITAの軽いアクセルを右足で押しつぶして一気にハネ上がる回転計の針を左目で確認しながら、リオベルデのボンネットに写り込む桜の狂喜と共に踏切に向かって一直線に突っ込んでいく衝動にかられる季節に、執拗までに追い込まれ、逃げ場を失いながら最期に、もうどうでもいいや、もうどうにでもしてくれ、と開き直る自分が室内ミラーに確認出来そうな開花の土曜日。春爛漫。歌え笑え。


   ●1999年04月14日/水
 今年に入ってから不景気線の仰角がさらに5度位トリムアップしたような気がしてならないから、ちょっとばかしの情報収集を口実に緊急浮上。ここのところ、いろんな人を酒に誘い出しては、愚痴を言いながら、ただただ潜望鏡深度で無策に飲んだくれている僕はすっかりVITAの事など忘れている。駐車場であいも変わらず春雨に濡れる受動的なVITAを見て、どうしたもんかなー、経費考えて軽に変えちゃおうかなー、なんて冗談半分に呟きながら都知事選の為にエンジンをかけると、やっぱり一発始動だ。気持ちが良い事は良い日曜日だったけど。
 今だに「ちびまる子」ちゃんを読みふける娘を家に置き去って、近くの得票所へVITAを操鑑するも、こんなにも家の近くが一方通行の嵐になっているのかと改めて驚く程に、なかなか得票所に浮上する事ができない。泳いでも、歩いても10分足らずの目と鼻の先の中学校に目標を定め雨の中をジグザクに舵を切ると、そこには既に無数のトヨタのスクリュー音。それではと最小半径の180度回頭をキメると後ろからランドクルーザー級の探信音と同時の魚雷発射音だ。ってバカみたいな週明け。
 なんでもかんでも海江田と像を重ねる逃避の生活を続けているからだと思う。何にも手につかないし、地に足がついた仕事の感覚もない。VITAの中に潜り込んで深深度に無音で漂うだけの発想しか生まれてこないみたい。パッシブソナーの感度を120パーセントに上げて遙か洋上に耳を凝らしながらハープーンミサイルに核弾頭を装填しようかどうしたもんか、たぶん妄想一歩手前の逃避図を描きながらVITA夜行の中で空のカセットレコーダーのスイッチを押したりしてみたり。と少しづつ気分も回復して来るのだが、どうにもこうにも体が重くて、得意のため息のTPOすらつかめない状態みたい。
 発射管を開き全門に装填してみても敵鑑の距離も船種も把握できないからとりあえずの針路は0-0-0で微速前進しかない選択。いつどこから降りかかるか分からないアスロックに怯えながらのVITA操鑑は僕だけでなく、知らず知らずのうちに妻子をも巻き込んでしまう。だからとりあえず何も考えないで今日は浮上かもしれない。なんかいい事あるかもね。


   ●1999年04月19日/月
 ○もう古い話だけれど、海江田が深町に、独立せよ、とたった一言の手紙を出して撃たれた時に、僕の中でほんの少しの何かが変わったと言わざるおえないような、それと同等の心の変化を、今までVITAの中に期待していた僕はマヌケだったのだろうか。○潜水艦のような機密性と隠密性を好んで夜のVITAのハンドルを溺愛する事は、例えばお隣のメジャー・トヨタに乗る人にとっては、よっぽど現実的ではなく見えるのだろうか。○深海の原子力潜水艦の中で孤独と恐怖に耐える事を試されるように、日常生活からかけ離れた深夜のVITAを使い、代用する事はなんの意味もなかったのだろうか。○VITAから帰った後、その時差に違和感を覚えながらも逃げ場のない己の発散と自己満足の為にこんな湾曲な日記をUPして、限られた人生時間の浪費以外の何者でもなかったんじゃないだろうか。
 と身を裂く程に真剣に思っている部分よりも、案外気楽にいいかげんにVITAに乗っている部分の方が断然多い不完全な楽天家が僕であるならば、じゃあ、もしこの日記を読んでくれている終始我慢の人がいてくれたなら、その人たちはもっと優しい心広い楽天家VITA乗りのような気がする。だからといってVITA乗りだけがVITA共有の特別な優しさを持っている訳ではきっとないだろうから、他の車を愛する人たち、もっと広げて何かを愛する人たち、しいてはすべての人たちが優しさで満ち溢れるガラス玉を心底に抱えて生きているのかもしれない、との確信は一応あり。
 こんな素晴らしい他人に囲まれて生きている事を知っていながら、誰にも相談せず、誰も受け入れず、何故ゆえに僕はVITAにこだわり、VITAの中に逃げ込まなくてはならないのだろうか。それは君が未熟な子供だからです。一口にいうと、実にかっこ悪い中年だからです。と違う自分Aが違う自分Bに問いかける姿を連想しながら数年ぶりに「沈黙の艦隊」32巻を再読した。
 その7割を都内に点在するマンガ喫茶を利用、残る3割を街道ぞいのハザード点滅するVITAの中で読んだ。運転シートを前に引き、出来るだけのリアシートスペースを作って足をなげ出して、好物の「午後の紅茶」のミルクティーの助けも借りて、狭いVITAの中で再読した最終巻。ヤマトを失った山中副長のようなどこに出しても恥ずかしくない軍人に操鑑・操縦されるVITAの光るようなタイヤトレース跡が、無意図・無目的を露呈する僕のタイヤトレース跡と明確に交差するゴール前カーブ、そんなアスファルト上の非情の現実を見たような気分で家に帰える。やっぱVITAに核って積めないのでしょうね。
  


   ●1999年04月26日/月
 どんな車がお好きなんですか? なんて丁寧にAさんが聞くから、まあ、ヨーロッパ系の小さな車でしたらなんでも・・・なんてお答えしたけれど。これって裏を返せばアメリカ系のデカい車は大嫌いです、と言っているようなもの? 実はアメリカ系のデカい車も大好きなのですが私。
 あまり好きでない、かなり好きでない、本当は絶対に買わないであろう車が、エルグランドとシーマだったりする。僕の本音は。でも例えば、大事なお客様の社長様なり専務様なりがシーマの新車なんぞにお乗りになって、僕に見せびらかしに来られたとしたら、いやーいい車ですね、何よりもガッチリしてますよね、などと一応の礼儀は正す大人でありたいと、もちろん思っているし、ナイン to ファイブはそのように行動しているつもりです。でないと仕事来ないもんね。
 Aさんとは知り合ってまだ数カ月。人当たりが良くて子供にも好かれて、何故か憎めない営業マン。扱う商品知識に特別にたけているフウでもないし、性格は案外のアバウトでチョンボもよくするそうだけど、何故か営業成績は毎月トップ近辺をキープしている営業畑一筋に歩いて来た人だ。たぶんあの人から薦められたら、きっと買っちゃうだろうな、と10人中8人は感じていると思う。僕もついつい騙されてしまった、ほだされてしまった一人である。そのAさんに、今度は僕からの質問。どんな車がお好きなんですか?
 その答えが、エルグランドとシーマだった。僕が仮に熱心な巨人ファンで、やっと見つけた恋人が従順な阪神ファンだったような気分? しかも彼のエルグランド、車体落として地面とのスペースはタバコ1箱分ですって。スーパーの入口の段差にも気を使うドライバーらしい。こういうケースが一番戸惑ってしまう。好感がもてて、これからもより親密な友人になりたいと願う相手の一番好きな物、得意とする事が、僕の一番嫌いな物、苦手とする事と合致する、よくある天命のようなケース。
 仮にですが、白いパンツが好きでトランクスをはく僕が、ブリーフが好きで黒いパンツをはく女性を好きになって一緒に暮らす場合、下品と感じる黒いパンツから上品と僕が感じる白いパンツに変えさせる代償として、メメしいと感じるブリーフを率先して試着する僕の心中にはかなりの無理がある、という事に近いかな? 近くなんかねえか。
 考えてみると、こういう事って今まで、我が家にも何回ともなく起っている。複数の人間が絡み合えば必ず起こる宿命の民主主義を学ぶためにも是非とも僕は今回、AさんのシーマをAさんの誘いに乗って気持ちよく運転してみようと思う。
 という上記一式の流れが、ゆうべ妻がレンタルしてきたロバート・レッドフォードの「モンタナの風に吹かれて」だっけかな? のビデオを見終わって、定例の色々な感想をして、最後に、都会の女と田舎の男の宿命と、何故かAさんの話題が出たベット上で寝る前に、脳裏をかすめた。何かを変えたい。



BACK PAGE......NEXT PAGE   abuu.com top | back to Japanese home | Vita front-page