●1997年10月28日/火
 久々に約20kmの距離を走る。毎夜4・5kmのトロトロペースでオドメーター増やしているとたかが20kmでもかなりの精神的満腹感を味わえる。毎日のつつましい肉じゃが定食が今日は豪勢にすき焼き定食にでもなったような気分だ。でもこれって単に10倍して、毎日40km走る人がたまたま200km走った満足感と基本的には変わらないのではないかと思う。普段と比較しているだけだもんな。毎日1万円のコースだったら、きっと5万円のフルコース食べなきゃ満足できなくなってしまう。だから毎夜つつましく走っている今、10倍は走っていた20代の頃よりもたった20kmの距離でかえって満足感が出るのだろう。20kmの帰途ロイヤルホストに寄ってビールをコップ2杯お付き合いしてしまった。マズイと思わないでもなかったが、つい気を許してハンドルを握る僕の脳裏には今の10倍は飲んでいた当時の事故が強烈によみがえって来る。
 17年前の深夜、目白通りは結構空いていて前の車との距離は50m位だったと思う。僕の記憶は西武電車の上を通過した頃から時間にして5分位の間、まったく無い。その日も大残業大会で深夜11時を回ってから仕事仲間と安酒場に繰り出した。深夜0時を過ぎて前妻がファミリアで迎えに来てくれ、それではお先にと僕だけ12時半頃、酒場を出た。やめとけばいいのに制止を振り切って僕がハンドルを握る。若かった20代の僕は当然酒に強く、かなりのビールとバーボンが体内に入っていたと思う。いつもより快調に飛ばし目白通りに入って練馬を過ぎた頃、眠りそうだな、大丈夫かな、と感じた瞬間を最後に、ダンプの後ろに突っ込むまでまったく覚えていない時間が過ぎた。ダンプ後部への最初の衝撃で目が醒め、火花で正気に戻った。ガンガンガンと衝突を3回繰り返してダンプの後部にファミリアのノーズが突っ込む形で ようやく止まった。横断歩道直前で深夜にもかかわらず歩行者が数人いた。しかも停止した場所は派出所の真ん前だった。スローモーションでダンプ後部がフロントガラスの向こうからスーと僕の顔に近づいて来る。そしてフロントガラスからほんの2cm位のギリギリで止まった。もう少し衝突が強かったら、もう少しダンプのブレーキが強く効いていたら間違いなく僕の上半身は無かったと思う。17年経った今でもそのダンプ後部の動きは鮮明に覚えている。その瞬間確かに僕は死ぬんだなと感じた事も。
 しかし幸いの事に僕は無傷で助かった。その代わりにリアシートで眠りこけていた前妻は顔をおもいっきり前シートにぶつけ蒼白。愛車ファミリアはフロントがダンプ後車輪に巻き込まれ、グリルから全体がめくり上がってしまっている。ボンネットはハの字に折れラジエターからは当然のように水漏れ。車から出るとダンプの運転手と警官が同時に僕を支えてくれる。運転手は大丈夫かと心配してくれ、警官は酒気帯びを指摘して測定器を取りに派出所内に戻った。ダンプのお兄さんは2・3km手前から僕がフラフラしているので居眠りかと警戒していたそうだ。
 その後は当然色々あったのだが、ダンプの運転手はテールランプの修理費用だけ出してくれればあとは気にしないと言ってくれて、そう上僕をかばう発言まで何度かしてくれた。そして警官2人は信じられない事に無罪放免にしてくれたのである。幸い人身事故にはならなかったが、風船から出た僕の息は完璧に酒酔い濃度だったし、事故はこの警官2人の真ん前で発生したのに。確か次ぎの週どこかの警察署で開かれる交通事故撲滅の映画を見る事が条件だったけれど。
 若い僕はヤッタと心の中でつぶやいていた。僕は最初から嘘をつきっぱなしだった。家には風邪をひいた子供が寝ていて帰宅を急いだ事、しょうがなく接待で酒を飲んだ事、このところ仕事が忙しくて疲労が重なった事、すべて嘘をついた。恥ずかしいかな善良なほどこしを期待したのだ。その当時子供なんて僕にはいなかったし、酒も毎晩のように僕から誘って飲みに繰り出していた。まあ半分位は、こいつ演じてやがるな、の疑いはあったのだろうが、スミマセンの連発で終始底姿勢、結婚が早く金と仕事に苦労する純情パパをみんな哀れに思ってくれたのだろう。
 実にバカだったと思う。ダンプにぶつかって運が悪かったのではない。実は運が良かったのだ。ダンプが僕の車を止めてくれなかったら歩行者を酔興のまま跳ね、当たり前だが今のVITAに乗る僕はなかった。運良く信号に助けられて直進出来たとしてもいずれどこかにブチ当たらないと車は止まらない。
 ロイヤルホストを出て過去と同じ目白通りを走り、今しがたのビール2杯を胃に感じると強い自責が吹き出してきた。もういまさら人生をチャラにしたくないし、そこらの板金屋じゃちょっと復元出来そうもない曲線をたくさん持つ可愛いVITAのボンネットは是非とも死守したい。そしていつも心の底に深く横たわる醜い恥は、事故を起こした責任よりも、実にヘラヘラと口から出た嘘塊を創造した自分の荒れた精神の方に感じるのだ。

●1997年10月30日/木
 久々に夜の環状8号を走る。意外にも工事が多く思うように走れない。仕事がらみの書類を受け取るために約束したファミレスはまだまだ先だ。携帯で遅れる連絡をしたいのだが、さっきからなかなか電話がかからない。同じ地域内での利用者が多すぎるのだ。隣車線にいる車の中でも、誰かが誰かと電波で話している。J-PHONEしっかりしてくれよ。また駅前無料配布のPHSに替えちゃうぞ。VITAの中でイライラするのは初めてのような気がする。今までVITAには寛容で余裕のいい所ばかし見せてきたので、少々恥ずかしい。しかしたまには人間らしい所も見せないと心を開いてくれないかもしれない。でもまだ知り合って1カ月と少しだからなあ。
 今晩もそうだったがここ数日、年輩の小金持ちに会うと皆さん口を揃えて株式相場の不安をうったえられる。僕なんかに聞かれても困るなーと思いながらも適当に相槌をうっているだけなのだが、それはそれで結構なハケグチ位の役割を果たさせて頂いているようだ。本当は相場の行方なんて誰にも判りっこないのだが、皆さんそれを承知で話題にしたがるのだ。あんまりみんなが心配するから、少々気になって何年ぶりかで日経新聞を買ってしまった。20代後半から40歳ちょい前まで10年以上読み続け、訳あってこんなもん読んでも何の得にもならんとやめてしまっていた日経には、あいも変わらず同じ様な繰り返しの状況しか載っていなかった。レイアウトも昔のままだ。10年前のブラックマンデー周辺の出来事は鮮明に今でも覚えているし、その当日の夕刊の超反転文字の見出しまでちゃんと記憶にある。株式相場は今も昔もまったく変わらない印象を受ける。評論も同じ様な危機説や楽天説の替わりばんこだ。何かがぶっ壊れて価値や思考の激変が起こる兆しが見えるかと終焉を夢想するが、まだまだ現実は打たれ強いようだ。実際にはこれで大丈夫だー、なんて大方が気を抜いた時に嵐はやって来るのだろう。そして一気に経済がブラックホールにのめり込まれていくのか。
 長く続く不景気に慣れきってしまい、いいやもう、なんてVITAを買ってしまったが、これ以上の不景気になるのは正直つらい。だからとりあえずは平穏無事の金融を望むが、それではおさまりの付かないバクチ打ちも世の中には腐る程いらっしゃる。そんな輩が先陣を切ってわけの解らない起爆剤をもち出せば、予期せぬ所から予期せぬ形で歴史は繰り返しちゃうかもしれない。僕の事務所の会計のように中途半端に先送りするだけなら、いっそのこと一気にぶっ壊れちゃった方が後々の人類には健全な手術かもしれないし。全とっかえロイヤルストレートフラッシュだ。そんな時が襲来しそうになったらハイオクしこたま買い込んで、それがいよいよ尽きたら箱と化したVITAを一生眺めて、慈しんで暮らしてやろうと思っている。来るなら来い大恐慌。しかしそんな時にはちゃんとウザトイヤツが何処かにいて、新しい財閥なんかがしっかり誕生しちゃうんだろうな....
 帰りの環状8号も深夜の渋滞だ。月末は月末だけどなんで今ごろ道路ほじくり返すかねー。車群の中でアイドルが長くなるとVITAの震動が不安定になってくるようだ。タコメーターが時々上下に3mm位の幅でフラフラして、それにリンクするように車体が大きくブルッと震え、マフラーの辺りからガタガタと異音の共鳴が来る。おいおいマフラーがコトンと道路に落ちるんじゃないでしょうね、まさか。予期せぬ大恐慌はしょうがねえと諦めもつくが、予期せぬVITA入院は冗談じゃありませんよ。まだ付き合って1カ月と少しなんだから。
 日経の一面下に、3段6割のNAVIとCGの広告が出ていた。どちらにも911の特集がある。そのすぐ上の株暴落のコラムの内容と実に対照的な位置に常にポルシェはいるようである。だからいい車なのか。

●1997年10月31日/金
 本日は月に一度のタメ息の日である。事務所と個人の月末支払い日なのだ。支払いのために1カ月間働いている様な気がする。混んでる銀行に分け入って、あっちの数字を違うあっちに移動すると、こっちの数字が限りなくゼロに近づく。何もかもホッポリ出して岩城晃一とエルグランドの旅に出れたらどんなに幸せかと思う。でも正直いうとエルグランドあまり好きではないので、できれば違う車でお願いしたい、もっとお願いできれば人生なんて別にデッカク行かなくていいですから、ナイアガラの滝なんて寄ってほしくないし、わざわざ3家族で行くこともないでしょうに。
 道路脇に新品エルグランドが2台直列に止まり、その後ろに2トントラックが数台続く。某OA機器販売店のコンボイだ。すぐに新装開店のビルから人がチョロチョロ出てきて、車の中から大量のパソコン箱が順次降ろされる。新しいビルが建って、新しいパソコン教室が開かれる1Fの前の歩道は朝から慌ただしい。
 さっき通りかかった時のパソコン群はきれいにダンボールから出され、ビニールがかかったまま歩道にキチンと並べられている。全部で40セットはあると思う。三菱の17インチCRTと東芝のPCだ。不用心だなー、誰も見張りがいないまま歩道の半分を占領している。僕だったらコンパック70パーセントにMAC30パーセントにするのになあーなんてヨダレ出して歩いていたら、やっぱりヨダレ組の中学生にぶつかった。ゴメンゴメンと謝ると、いえ、なんて言ってパソコン群から目が離れない。パソコンおたくの4人組だ。1つ位持って行っちゃってもバレないんじゃない? 軽く声かけるとマジな顔を向けた。目が、オジサン一緒にパクる? なんて言っている。恐い恐い、冗談・ジョウダンなんて帰ってきたが、あいつらどうしたかな。道路の向かいが救急病院のせいもあり、サイレンの音が鳴る度に心配である。実は僕にも、中学生の時どうしても欲しかったバリコン(ラジオの部品)を盗んでしかも大逃げして、最後に息が切れてとっ捕まり、学校まで話がいって、教員をしている母のプライドを根こそぎ粉砕してしまった過去がある。気持ちは充分解るがおまえら我慢せいよ。(そのバリコン実は今でも持ってます)
 そういえば最近、周辺にエルグランドの出現率が高くなったように思う。知り合いの印刷屋さんも最近エルグランドに換えたし、近所の4人家族も自家用にエルグランドを買ってしまった。何もそこまで行かなくても、お洒落で使い回しがいいステップワゴンとかセレナとかノアがあるじゃないのと思うのだが、あの強固なイメージがいいらしい。車の好みイコール性格の好みで、VITAなんかを選んじゃう僕なんかに比べるとエルグランドを選ぶ人の様相はハッキリと異なる様だ。究極の区別をすると何なのかなーと考える。大きさなのか、形なのか、動力なのか。もちろん価格の差もあるが、じゃあ金があったら僕がエルグランドやセルシオやキャデラックやメルセデスSを買うかといったら、まず買わない。ポルシェの方がいいし、色が違うVITAやPOLOを何台も庭先に並べて縁側で水割りでも飲みながら悦に入っていた方がよっぽどいい。
 僕の知っている数少ないエルグランド系(あくまで系)に乗っている人達はみんな政治とか会社とか歴史とか権力がらみの話に饒舌である。いささか単純で強引でマンマの断定であるように思われるかもしれないが、僕の知る限りの人達はそうである。A議員は今BをしていてC派に属しているらしいとか、2・26事件のAは実はBの仕業だったとか、外注100社を抱えるA社が移転先を探しているとか、A社の役員が一部入れ替わって社内の筋が変わりそうだとか、仕手のAの表の顔は意外にも左翼Bだったとか...... 酒の力が加わるともう止まらなくなってしまう。そういった系の話も嫌いではないのでウンウンとか言ってちゃんと聞くが、最初から終わりまでそれじゃさすがの僕も田原総一郎じゃないので飽きてしまう。適当にパソコン系の話題を散りばめるが、エルグランド系はいかんせんパソコンとINTERNETに弱い。それもとんでもなく弱い。しょうがないのでVITA系にも振るが、小型車系にも弱い。もう必然的なエルグランド系なのである。そういう方達からお仕事を頂いているケースが僕には多いので、お付き合いは僕にとって少々消耗を伴う場合がある。そんな事だからおまえの事務所は伸びないんだ、と言われればそうなのかもしれないが、たまにはVITAも誉めてやってよ社長さん、なんて気にもなってしまう。そのような夜には特にVITAが恋しくなる。そんな時に限ってのアルコール摂取の身、深夜のビデオ鑑賞で紛らわして諦めのモンモンたる夜を過ごすのである。だからちっとも総距離と売上が伸びない。
PS モーターショー、なんとか都合付けて連休中に行きたい。出来るなら時間かかってもVITAで行きたい。でも娘の七五三の準備もあるしどうなる事か、なんて妻子の前で独り言をつぶやく自分がとっても可愛くもあり、情けなくもある。

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●1997年11月04日/火
 モーターショーの最大の収穫がコンパニオンのお姉さんとのTWO-SHOTなんていう人達、沢山いるんじゃないかなー。どこのブースに行っても今年は数少ないコンパニオンとVサインにチーズしている男どもであふれ、その隙間をすいません、すいませんで小型車中心に見て歩いたらクタクタになってしまった。昼近くに入ったせいもあり、駐車場は東のはずれ、会場入口までなんと1km以上はあった。やっとの事でたどり着いてマクドナルドでバリューセット頼んだら、既に作り置きの山積み紙袋の中に後ろ手まわして会計と同時に、ハイお待ちどう様でした、だって。全然待ってません私。
 各ブースもパントマイムとか大スクリーン映像、体験コーナーなんて定石やってるんだけど、各社ショールームが仲良く控え目に寄り合った感じで、会場全体がなんとなくしょうがないから今年もやってますといった雰囲気あり。これは見る側の倦怠とマンネリのせいかもしれないと気を取り直して、PEUGEOT 306、SATURN SW2、OPEL ECO3、AUDI A3、FORD KA、VW NewGOLF、RENAULT TWINGO LUTECIA、ALFA 145、FIAT PUNTO、MERCEDES A-Class.... と廻る。ドアを開けてシートに座れる車とカギがかかってウィンドー越しにしか中を覗けない車が各社の主張となっているようで少々寂しい気持ちにもなった。プントに座ってドア閉めたら、助手席に茨城弁のお兄さんが入ってきて、僕を気にもせずにドアを閉めた。プントにやたら詳しいヤツで、運転席の僕にそのスイッチ回せとかアクセルの硬さはどうだとかうるさい。密閉されたイタリア車の中で優しい茨城弁がうつってしまい二人で騒いでいたらプントの外に長い列が出来てしまった。
 今度のモーターショーの僕の収穫は.... 1. 実物メルセデスAクラスが少々つまらなく感じた事。 2. 紺のVITAの5ドアが別に欲しくなった事。 3. つくづく僕はOPELとVWが好きなんだなーと再確認してしまった事。 4. VITAのエンジンルームの配置がすべて同じではないと気づいた事。 5. 小型車の選択肢って案外少ないんだと感じた事。 ....でした。これだけ。
 カテゴリーを越えた新コンセプト・新設計、新衝突安全性能。なんでも新がつくAクラスの20cm高シートに悦びを感じながら座れる程、僕は新しモノ好きではないのかもしれい。雑誌やカタログで見るAクラスはとても斬新で既存車の概念をぶっ壊すに値する十分なイメージがあったが、実物を目の前にするとなんだか興醒めしてしまって、我がVITAに徹底的に、車は理屈ではないのよ、と更正・洗脳されてしまった後には、たとえAクラスのこれでもかという新コンセプトのシャワーを浴びさせられても、俺買ってまで運転したくはないしー、新しい時代を迎えるかもしれない自分の姿勢や主義を他人にアピールするためにAクラスを利用するなんて媚びるようで絶対にヤダ、なんてわがままに思ってしまった。いくらエンジンが斜め下に落ちる衝突画面見せられても、エンジン落とすために僕は走る訳ではないし、全長3575の中のかつて無い実用性は嬉しいけれど、家族を喜ばすために僕は走って来た訳でもないから.... なんて妙に反抗的な気持ちに追いやられ、僕が僕であるためにはAクラスはまったく必要がないな、なんて直感的にその場で感じ始めちゃって、俺、ちょっと偉そうで意固地で大人げないな、と照れくさくなったのは駐車場で待つVITAの中に入ってからだった。要するに僕には優等生すぎるのよね、きっと。というか、僕の資質・器がたとえAクラスであっても紳士メルセデスには相応しくないのでしょう。
 しかし、好みのコンパニオンと写真に収まるのは勝手だけど、撮り終わった後の、有り難うございました、に妙な紳士的なフェルモン感じるのは何故だろうか。だいたいあんな写真、持って帰ってどうすんだろう。それだけお目当ての車がつまらなかったのだろうか。まあ、車をとるか女をとるかだったら、後者なんだろうな結局は。所詮車なんて人生のNo.1にはなれないのよね、なんてどこかで言ってるモーターショー。
 PS VITAのエンジンルームの配置って年式とかドアの枚数とかで違うのかな? 例えば僕のVITAのバッテリーの位置は向かって左奧なのだけど、展示車のバッテリーは右の中間あたりに位置し、当然他の装置類の配置も微妙に僕のVITAとは異なっていた。なんだか設計の不完全性をかいま見た様で気持ちが悪かったのだが.....

●1997年11月05日/水
 娘とミルキーペンで好きな車の絵を描いてお互い見せあった。先日描いた車と二人とも違っている。今日のは三角の窓で、スピードは出ないけどフロントが10センチ位もり上がっていて色はHi-Cの色、オレンジ。面白いのが出来た。毎回、二人とも色々である。その度にもっと自由にデザインできる車があればなーと思う。
 モーターショウのパンフレットを見返してみると、輸入車メーカーの展示ブースが全部で25ある。多いいような少ないような数だけれど、仮に僕が外車の小型車が欲しいという事になって物色。各社の小型車の選択肢が100歩譲って2肢あるとしたら、全部で25×2で50台。実際に入手困難やちょっと信頼性無しでパスする車が4割あるとみて、50×0.6で30台。(実際には20台位か?)外車の小型車が欲しくて探してもたった20〜30種類しかないのである。雑誌の後ろの方の価格表のページをめくってもこんなものだろう。どんなにあれがいい、これがいいと悩んでみてもこの中から好きな車を探さなければ外車の小型車には一生乗れない。しかも自分勝手にオーダーメイドで1000のエンジンに210のピレリとついでに後ろの窓をもう少し大きくして.... なんて家を建てるみたいに出来ない。しょうがないから買った後で、エアロで形変えたり、ホイールで雰囲気変えたりして個性化するしかない。この辺は大量生産のおかげのコスト安で有り難くもあり、排ガスや整備法の問題からもそうやすやすと好き勝手な車を走らせる訳にもいかないので我慢せよと言うのでしょう。
 しかし仮にデッカイ規制緩和なんかが施行されて模型の30分の1モデルみたいに、基本シャーシーはマーチを転用して、上にかぶせるホディーはこんな形でなんてスケッチ渡すと、ガチャンなんてプレスして色決めて、1日位で出来上がって.... なんて事が現実にならないかな? そうでもしないと20種の外車の中から料理を選ぶみたいに一番好みに近いヤツを無理に選択しなければならない現実に、どうしてもあまんじなければならないと思うと何だか腹が立ってくる。この現状に不満ならおまえ自身で車作れと言われたらそれまでだが、冷蔵庫とか洗濯機だって、最近のTV局数だってもっと選択肢があるし、4種類しかない血液型のように、あの車を選んだAさんはきっと真面目でお金に融通がきかない人だわとか、Bさんはあの車だから今度の参院選きっと自民党に入れるわね、なんて先入観持たれるような選択数の低さで、車中で外界からの視線に少々恥ずかしく身構えなければならない状態が突発するのではないかと自意識過剰気味に思う。逆に自分を演出する事のどこが悪いんだ、カッコ付けまくりの人生ほど楽しいものは無いと開き直れば、この数じゃ多数の中の自分に色を付けて目立たせる事なんてなおさら出来ない。家電と同じ様に車を選んじゃう人(この行動には個人的に反対)がたくさんいる程、200万円以下の車(これでも僕は高価過ぎると思いますが)だったらだいたいの家の駐車場にあるのだからこそ小型車の種類の少なさに文句が出ないのが不思議で、メーカーから押しつけられないにせよ、ただ既存のものを受け入れて使うという自動車販売の基本形が少しでもインタラクティブ(こういう使い方でいいの?)になればとモーターショウの会場内、特にメルセデスのブースで思った。別に外車でなくてもいいんだけれどネ。
 なんだか僕は無意識にメルセデスを親の仇にほどに思っているのか、町中のショールームに立ち寄っても、ブースに来ても何だか反抗的になってしまう。別にメルセデスに乗って嫌いな人がいる訳でもないし、メルセデスにまつわる嫌な想い出がある訳でもないし、単純に連想されるようなステイタスシンボルから来る高い所から見られているような劣等を感じる訳でもないのだけれど。だだ単に女房の浮気相手がメルセデスに乗っていただけでこんなにムキになるなんて今日の僕はちょっとおかしいし....(これは嘘です、ムキになります)むしろ最近のC-classのテールの曲線美なんてたまらなく好きで、先日もバーミヤンのパーキングに止まるC-classのツヤツヤ白のおしりを酒の余力で誰もいないと油断して、ムチュムチュになで回して、突然階段から現れたその家族に冷たいヒンシュクをかったばかりなのに。すみませんでした、家族にじゃなくてそのCクラス君に。
 PS ヤオハンJAPANが倒産して、X JAPANが解散して、一昨日は三洋証券が倒産してしまった。周囲に焦りまくった人が3人もいた。訳ありの代理で電話をかけさせられたが、会社更正法申請とはそんな大問題ではありませんよ、という意味の弁を頂いて驚いた。庶民ゆえにかえって社会が心配になってくる。先がない刹那的なVITA夜行は出来れば避けたいと洞窟で先祖と話し合うような変な夢を見ないですむように願いたい。
 PS2 昨日の日記の中でVITAのバッテリーの位置の疑問に対して、いつもメカの事を教えて頂いている方からメールをもらった。要するに左ハンドルと右ハンドルでは設計が違うとの事。聞いてみればなーんだ、なのだが、そんな事も知らなかった自分がチト恥ずかしい。ちなみにもし最初から右ハンドルを設計していたら、あれだけ小さなエンジンルームは実現できなかったでしょうともVITA設計陣を賛辞されておられた。

●敬意を表してメルセデスAクラス(HPとして綺麗) http://www.mbj.mercedes-benz.com/aclass/

●1997年11月06日/木
 VITAを購入した理由、その4。
 最近の事情は良く知らないが、ワインディング・ロードでよくオートバイ同士がすれ違いざまに親指立ててる光景を目にしたりする。あれってかっこ良くもあり、かっこ悪くもありでなんとなく話題にはしたくない話題なのだが、少なくてもバスの運転手さんや同系列会社のタクシーの運転手さん同士で行われる何かの意思の伝達みたいな閉鎖的な合図よりはかっこ良いと思う。VITAに乗って街道を走るとこのての連帯感って少なくてもクラウンに乗ってすれ違うよりは、たぶんある。相手がOPEL、しかもOPELのVITAなんかだったらよけいあって、OPELでVITAで色も同じなんて事になったら、もう恥ずかしくなるくらい出てくる。相手のVITAに家族や恋人なんかが同乗していて、奥さんとか子供の口がア・ビ・イ・タ・ダと動くのが読唇術のように解ってしまうような距離だと相手の運転手と僕はもう目なんて合わせられない程気恥ずかしい思いに追い込まれる様で、遠ざかるテールを室内ミラーの中に点で確認するまでわざと違う話題を持ち出したりしている。
 こんな事が我が家の近くでしかも日常的に起こりそうな凍るような予感がしたのは、妻が、そう言えば昨日さー.... といかにも僕に報告しなければ気が収まらない様相を見せて話し始めた数日前だ。家から歩いて8分位か、VITAで行けばホントすぐの距離である。バス通りをちょっと入った犬屋の裏の駐車場だ。同じVITA、ドアの枚数も色もハンドルの位置も16Vも、すべて同じだと妻は言った。違うのはナンバープレートの上に書かれた数字だけ。なんでこんな所にうちの車があるんだろうと最初は不思議に思ったと言う。しかしよく見ると横浜ナンバーなので一過性の事件かもしれないが。
 どうしようかと思う。たいした事ないや、別にーなんて気になろうと思えば、なれる歳だが、なんだか昔泣く泣く中国で別れた兄弟に50年振りでご対面ー、なんて言われて舞台の袖からオズオズと出てくる私が目に浮かぶ。おいおいおい、車止めて、オオ同士よ、と硬い握手かわしてウォッカで朝までVITA話か? いちべつして大人して黒い服着てシュールに決めるか? それとも、何もしないで何も考えないで何も起こらない日曜日の光の中を古い矢沢永吉のボスCMのようにすれ違えばいいのか?
 あたりまえだけど、こういう事ってVITAを買ったから起こる事柄で、仮にVITAがなかったらVITAによる新しい体験も新しい人との出会いも無い訳で、人生というのはこういう時間の積み重ねであっちこっちにHTMLのようにリンクしながら出来ていて、この仕事があったから、あの学校に入ったから、あの恋があったから...の連続で、僕自身の誕生すらも両親の時と場所の一致があったからこそであり、キリスト様、仏様の偶然であり必然である教えからしても、このご近所様のVITAとは大切なご縁で結ばれているかもしれないから、将来娘が連れてくるだろう夫のご両親に初めてお会いする予行演習としてもこの際応用させて頂き、凛とした態度で平常心でお会いしたいと心の準備をしている所でもあります。
 しかしなんです、この様な時、この様なたぐいの新しい人脈なり仕事なりが開けていく直前にいつも思うのだが、振り出しに戻っちゃおうかなー、というか、もし僕が帰宅しても駐車場にはVITAなんて最初からなくて、この日記もすべて嘘で、全部僕の作り話でしたー、なんて最初からひっくり返せたら人生、人との出会いから仕事から家庭から病気から、なにもかもが振り出しに戻れるような魅惑の錯覚に陥る事がある。
 今日の朝、娘が、今日は席替えなんだー、とささやかなハプニングを期待して嬉しそうに出ていった後ろ姿を窓から追っていたら、 小学校の席替えのようにたとえ小さな心の浄化でさえ、何もなかった何も聞かなかった事に出来てしまう 振り出しに戻る手段に見えてきて、小学校5年生の時に父の転勤で広島に連れて行かれ、もうこれでどんな自分にでも変わる事が出来ると、以前の自分の姿を誰一人知らない転校の美味しさを秘かに噛みしめた過去と、今年の夏、GOLFからVITAに換えようとした心の変化のひとつを重複しながら想い出した。
 僕はVITAで自分の生活を振り出しに戻したかったのだ。INTERNETのHOMEPAGEという虚像のちょっと危ない力を借りて赤裸々に近い気持ちでいうと、仕事のトラブルや金銭の問題や体の調子やらで偶然かもしれない厄年を終えたばかりの僕は決して順調ではなかったのです。だから大好きな車を買い換える事でサイコロの出目をせめてトントンにしたかったし、何か他に夢中になれる事がどうしても必要なほど不安定だったのだろう。VITAへの特別な思い入れは既に十分にあったし、VITAの大きさと価格は僕の脳を最適化するにはちょうどいい具合だったのだ。(大きさというのは特に大事だと思う)どうもうまく言えないが、これがVITAにした理由その4だ。
PS ECOTECではないVITAにはエンジンルーム向かって右奥にバッテリーがあるそうだ。という事は、ECOTECとNON-ECOTEC、ハンドルの左右、少なくても計4種類のエンジンルームの違う配置があるということか。そんな事言ってたら、クーラーなんて必要ない国への輸出用VITAとか構造違うの色々あってきりがないのでしょうけれど。

次ページにつづく


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